2015/12/01

11FREUNDEのノイシュテッターインタビュー

ノイシュテッターの世界大旅行
「ビールを冷やしておいてくれたウシー」
http://www.11freunde.de/interview/roman-neustaedters-grosse-weltreise


インタビュアー:Ron Ulrich

インドのスラムを旅し、内田と一緒に日本を歩き、スティーブ・ナッシュとの時間を過ごしたシャルケのロマン・ノイシュテッター。11FREUNDEは本人に話を聞いた。

and look who i found 😜 #uchi the best Tokyo guide 🎌

Roman Neustädterさん(@romainnewton)が投稿した写真 -


プロ選手とサッカー以外のテーマで話をする不定期企画、第1弾はロマン・ノイシュテッターと旅について。彼がどのように本誌の『生き別れのふたご』コーナーにリベンジを果たしたのかは、現在発売中の本誌最新号をご覧あれ。

それではノイシュテッターさん、旅の話をしましょうか。旅が趣味になったきっかけは何ですか?
昔は旅行にほとんど興味がなくて、夏のオフはどこかビーチでゆっくりしたいと思う程度でした。でも妻に旅行熱を移されてしまって。それで去年は中央アメリカと南米をあちこち旅しました。チリ、アルゼンチン、メキシコと。パタゴニアをハイキングして氷河の上に立ったんですが、あれはゾクゾクしました。

ハイキングはご自身で手配するのですか?
ツアーをやっている代理店に頼むこともあれば、現地に住んでいる知り合いに電話をすることもあります。この夏は、インドの慈善団体で活動しているマヌエル・フリードリヒ(編集部注:マインツ、レヴァークーゼン、ドルトムントなどでプレーした元プロ選手)にコンタクトを取りました。ストリートチルドレンの世話をしている団体で、そこを訪ねようと思って。マヌエルは「そう思ってくれるのはすばらしい。でもヤバいことになる可能性も覚悟しておけよ」と。

インドのどこですか?
ダラヴィというムンバイのスラムです。スラムと聞くと誰だって抵抗があると思うけど、ダラヴィのスラムには医者も弁護士も住んでいると現地の方たちが言っていました。独自の社会みたいなものですね、例えばレザーの製造といった独自の市場や経済活動があって。

現地では何をしたのですか?
"Anstrengung United"という組織がこのスラムの子どもたちのために活動していて、さまざまなコースを企画運営しています。僕らがいたときは、タトゥーアーティストが来て子どもたちにトレース用の型紙をプレゼントしたりとか。僕らは一緒に絵を描いたり、遊んだりして過ごしました。晩になったら家まで送っていってあげようと。でもそれはできませんでした。

どうしてですか?
15分ほど歩いたら、Anstrengung Unitedのスタッフが「ここまでで結構です、子どもたちにはお迎えが来ますから」と言うんです。子どもたちはどこに住んでいるのかと尋ねると、答えは「路上」。布を1枚張っただけの下で暮らしている人たちがいるんです。道に横になっている人がいて、その上を人が歩いていて。普段は兄が一緒に来ているけど、働かなきゃいけないから来れなかったと僕に言う男の子がいました。するとその子はパンツ姿で道端に座って竹かごを編んでいたのです。6歳ぐらいだったかもしれません。

そこで人々はどのように過ごしているのですか?
すごく狭い空間で暮らしていても、お互いを尊重していました。でももちろん世界が違います。今回の訪問だけでも、ドイツで当たり前だと思っていたことの有難みがじゅうぶんわかりました。食べ物しかり、寝る場所しかり、医療しかり。

インドでの食事はいかがでしたか?
市場も通りましたよ。そこでは店員さんが動物を殺して路上で血抜きしてグリルに載せていました。目の前で皮を引っ剥がして頭を切り落とす。やっぱりちょっと慣れがいるかなと(笑)。でも食べましたよ。ほとんどはフライで、食材が40種類ぐらい一緒くたになっていて。すごく独特でおいしかったです。

電車に乗るのは冒険だと語るムンバイ訪問者は多いですね。
確かに。まだ停車していないのに、飛び降りる人がいるし飛び乗る人もいるし。12時に銀行員のための弁当配達が一斉に到着する駅があるんです(※訳者注:ダッバーワーラーで検索)。配達人がその箱を頭の上に載せて運ぶんだけど、あれが何キロぐらいあるのかは知りたくないですね。バスとタクシーの運転も結構きてます。恐怖で自分の足が空ブレーキを何回となく踏んでいたほどぶっ飛ばしていました。

滞在中にトラブルはありましたか?
バスのところで同乗者を待っていたとき、妙な状況が一度あっただけですかね。こちらがヨーロッパの人間だというのはすぐ気付かれるじゃないですか。幼児を抱いた年配の女の人が近付いてきて、お金を恵んでくれと。僕は何かあげようと思って、その人に背を向けてバッグを探ったんです。するとAnstrengung Unitedのスタッフが「何もあげないでください、大変ですよ」と。振り返ったときには20人もの人が手を伸ばしていました。もし僕が女の人に何かあげて、他の人にはあげなかったとしたら、状況はエスカレートしていたでしょう。良かれと思ってやっても、それが良くないことを引き起こすかもしれないわけです。

インドにはどのくらいいたのですか?
ムンバイには5日間いました。やってよかったです。こういうことは二度とできないかもしれないから。到着の時点ですでにへとへとに消耗して、半日寝てしまうほどで。印象、色彩、匂い――そのすべてがぐったりするほどたくさんあって強烈でした。

ムンバイ訪問後は東京へ。それはまたどうしてですか?
ウシー(編集部注:ノイシュテッターのチームメイト・内田篤人)が「遊びに来いよ、東京はマジぱねえから」といつも言っていて。それで本当に手術直前の2日間で街中を案内してくれたんです。残りの日程は現地のスポーツ用品メーカーで働く僕の友人と行動しました。

内田は日本で手術を受けました。クラブは驚いていましたが、ノイシュテッターさんは何かご存知でしたか?
彼の予定については新聞で読んだだけです。日本で本人から教えてもらいましたが、そのことについて突っ込んだ話はしませんでした。

内田は日本ではスターであり、ファッション誌の表紙も飾っています。東京では自由に行動できるのですか?
いえ、全然。サングラスをかけていましたが、それでも2メートルごとに人々が口をぽかんと開けて振り返っては「内田だ、内田だ!」とひそひそ言っていました。それで地下鉄で行こうかとウシーが聞いてきたので、「いいね、そうしよう」と。僕にとって海外での地下鉄というのは最高で最速の移動手段の一つだし。でもウシーは地下鉄に乗ったことがなかったんです。乗り込むと、すぐに彼の周辺が色めき立ちました。その車両の全乗客がそわそわしながら振り返るんですよ、ドッキリか何かかと思ってね。本当にすごかったです。

東京での意思疎通はどのように?
ウシーが僕らのために通訳してくれました。彼はここだと自分からは話そうとしないこともあるけど、二人きりで出かけるとすごくいっぱいドイツ語でしゃべるんですよ。で彼の奥さんが隣でジェスチャーを真似する。この二人はほんとおもしろいんです。ホテルに到着すると、ウシーは僕のために前もってビールを2本冷やしておいてくれていました。冷蔵庫の横にはガイドブックとメッセージを書いたメモまで。それで後で迎えに来てくれたときに、ホテルに何も問題はないかと僕に聞いてきたんですね。「さもなくば…」と殴り込みに行く準備をするふりをしながら。大笑いしました。


ジャーメイン・ジョーンズ「お前ら頭おかしいの?」
http://www.11freunde.de/interview/roman-neustaedters-grosse-weltreise/page/1



東京にはどんな印象を受けましたか?
最高でした、絶対もう一度行きたいです。日本の昔ながらの地区を散策していたら、芸者たちが普通に道を歩いていて僕らのそばを通り過ぎていったんですよ。現地の人たちがいかに親切で感じが良く、すべてがいかに清潔で落ち着いているか。これは衝撃でした。あんなにたくさん人が歩いているのに、お互い小声で話をしている。一人で公園を歩いているんじゃないかと思うほど静かなんです。

それから旅はどう続くのですか?
少しのんびりしようとハワイに飛びました。でもそこでも滞在したのはマウイ島ではなくてハワイ島で。観光客向けのリゾートスポットがあまりない火山地帯です。原生林の中を走って、火山を間近で見ました。それから次はロサンゼルス、ジャーメインと5人の子どもたちのところへ行きました。

ジャーメイン・ジョーンズとはシャルケで一緒にプレーしていましたね。彼はアメリカで元気にやっていますか?
すごく快適に過ごしていますよ。移籍は自分の身に起こり得る中でもベストな出来事だったと言っていました。暮らしが全然違っていて、ここよりもゆったりしている。僕らはいい友達で、ほぼ毎日連絡を取り合っています。ジョーンズ家には冬にまた一緒に旅行をしようと誘ってもらっています。彼らは山に行きたいらしいけど、何をするかはまだわかりません。

#stirnlampe ⛺️

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インドのスラムから華やかなロサンゼルスへ――カルチャーショックはありませんでしたか?
いや、ロスではアッパーな過ごし方だけをしていたわけではないので。ジョシュア・ツリー国立公園に行って、テントを張りました。僕はそれまで特別キャンプ好きだったわけじゃないんですけどね。そこで初日の晩からすごい体験をしました。日の入りに合わせてもう一度散歩に出たら、急に横で何かがカタカタと。

ヘビ?
そう。そういうシチュエーションでは、動かないでじっと静かにしていなきゃだめじゃないですか。なのに、振り返ったら妻はすでにダッシュで逃げていた。でヘビの方を見たら、そいつは向きを変えて僕の方を見ている。もう心臓バクバクで。でも幸いそのまま這っていってくれました。それ以外だと気温がえげつなかったです。夜は超寒くて、朝は息が詰まったかと思うぐらい暑い。ジャーメインに写真を送ったら、「お前ら何してんだよ、頭おかしいんじゃね?」と。

では街歩きは一切しなかったと。
いや、それもしましたよ。でもロスは人が想像しているよりもずっと単調で。僕なんかはウォーク・オブ・フェームに全然気付かなかったぐらいです、普通の歩道に見えたから。スパイダーマンの格好をした人たちが飛び回ってて「マジかよ」と。あの街には信じられないぐらい正反対の顔があります。ある晩に真っ暗な道を車で走っていたら、道には人っ子一人いなくて。信号は全部赤。そこに突然誰かがショッピングカートを押しながら車の前に現れたんです。こいつら強盗だと思って、アクセル踏んでショッピングカートを振り切って、赤信号を通り過ぎました。するとその裏通りはまた普通に明かりがキラキラですごく賑わっているという。

スティーブ・ナッシュやアレッサンドロ・デル・ピエロに会ったのはどういう成り行きだったのですか?
ジャーメインがニューヨークのあるプロモーターとの橋渡しをしてくれたんです。もともとハノーファーでやっていたところだそうで。スティーブ・ナッシュがチャリティーゲームを企画していて、まだ参加者を探しているのだと突然言われました。初めは信じられませんでしたよ。すると時間とホテル名と部屋番号だけが書かれたSMSが届いたんです。B級映画みたいじゃないですか、この後撃ち殺されるっていうやつ(笑)。

ではそれも信用していなかったと。
意を決して行きました。部屋に入ると、みんな席についてごく普通にしゃべっていました。ナッシュ、クリス・マリン、デル・ピエロ、それにヴェローナのマッシモ・ゴッビとかイタリアのサッカー選手たちがいて。僕はクリーブランドのポイントガードのマシュー・デラベドバと話をしました。バスケットボール界におけるレブロン・ジェームズの存在についてね。マシューは「自分が最大かつ最速の男だと想像してみな」と。「レブロンにとっちゃ他の選手たちはレゴブロックみたいなものにすぎないんだよ」。


「スティーブ・ナッシュをシャルケに招待」
http://www.11freunde.de/interview/roman-neustaedters-grosse-weltreise/page/2



ジェームズについてはマイケル・ジョーダンより上だと言う人も多い。
そういう比較は難しいと思うんですけどね。でも今のチームスポーツは個人よりもチーム力によるところが大きくなっていますよね。今年ゴールデンステート・ウォリアーズがタイトルを獲ったのもそうだし。マーベリックスが優勝したときも、確かにノヴィツキーはずば抜けていたけど、彼のチームメイトたちも頼りになった。当時はジェイソン・テリーがすばらしかったし。

スティーブ・ナッシュもNBAのレジェンドであり、MVPに二度輝いています。
あれほどの成功者なのに驕ったところが全然なくて、本当にすごくいい人でした。スティーブはトッテナムの大ファンで、ヨーロッパにはときどき来ているのだと。今度彼が来るときはシャルケに招待するつもりです。今は僕らの試合も見てくれていて、フランクフルトに勝ったときはお祝いのSMSが来ました。

If you happen to be in NYC, go and see the charity game in china town!#stevenashshowdown

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旅の報告をしたときのチームメイトの反応はいかがでしたか?
インスタグラムで僕のアカウントをフォローしてくれているので、「おい、お前はいったい何をやってるんだ」と。でもこういうのはやっぱり向き不向きがあるじゃないですか。僕はビーチで過ごすだけの休暇はもう無理です、落ち着かなくて。

デュッセルドルフからゲルゼンキルヒェンへの引っ越しは休暇中に決断したのですか?
休暇は難しいシーズンを終えて頭を休ませるのに良かったです。それでプレシーズンが始まって、例のファンとの件があって。僕もそこで考えるわけですよ、変えられるものは何だろう、うまくいかなかったのは何だろうと。自分が変わらなかったら何も変わらない。それでゲルゼンキルヒェンに引っ越すことに決めました。クラブや町の人々との距離をもっと縮めて、もっとよく理解するために。

奥様はどのような反応を?
快く受け入れてサポートしてくれました。ゲルゼンキルヒェンにはすごく暖かく歓迎してもらいました。

先ほど「例のファンとの件」という言葉がありましたが。トレーニングキャンプで侮辱的な言葉を吐いたウルトラスに釈明を求めていましたね。実際には何があったのですか?
ランニングをしているときの話で、僕は一番速い数値を出している第1グループにいました。そのあとグループをくっつけて11人ずつでやることになって。だから横に広がるんじゃなくて縦に並んで走ったんです。僕は一番後ろについていたけど、それはほんと何の問題もないことで。すると最終セットのときにそのくだらない言葉が飛んできたんです。僕は自分が批判されるのはかまわないし、話をしてくれるのも大丈夫。でも侮辱は別です。すぐに対処したのは自分にとって良かったけど、チーム全体にも影響がありました。全員が文字通り味方についてくれたからです。

その話し合いで何かしこりは残りましたか?
僕にはないです。そのファンは次の日に謝ってきたし。僕も基本的に昔ほどいろいろと真剣に受け止めることはしなくなりました。インターネット上のコメントもそうです。

読んでいるのですか?
ざっと目を通しています。でも「サッカーやめろやこのクソが」とか書いてあったら本気には取りません。興味深いコメントもときどきあるんですよ、例えばうちの戦術とか僕のポジショニングについての話とか。そういうのは何かしら取っ掛かりようがあるし。


「フェアマンはÖmmes」
http://www.11freunde.de/interview/roman-neustaedters-grosse-weltreise/page/3



自身が変化をするという話がありましたが、それはプレースタイルについてもそうですか?
いや、それは別です。自分のプレースタイルは何年も続けているものだし、それで僕もチームも結果をわりと出せていたので。変えたかったのはどちらかというと世間のイメージです。『ボアテング軍団』とつるんでサボっているとか、ピッチにいるときよりポーカーをしているときの方が集中力は上だとか新聞に書かれてしまって。

『ボアテング軍団』とはデュッセルドルフに住むケヴィン=プリンス・ボアテング周辺の選手たちのグループ。不穏なチーム状況の責任を問われました。このような派閥が存在するという報道は誤りではなかったのでしょうか?
あれは誇張で、そういうはっきりした派閥というものはなかったです。とにかくうまくいかないときで、僕らはマイナスの流れにはまっていってたし、僕らを盛り上げることができたであろう選手もいなくて。去年のプレースタイルも僕らには全然合っていなかった。ロングボールを出して待っているだけ。僕なんかはボランチのポジションでつぶすしかなかった。今は全然違います。

あの頃に後ろ盾が欲しいと思いましたか?アンドレ・ブライテンライターはシーズン初めの記者会見の中であなたを全力で擁護しました。
彼にはすごく感謝しています。シャルケで僕を庇ってくれた初めての監督なんです。あれはうれしかった。彼はとんでもなく前向きな人です。それが僕ら全員に伝染しています。去年の話をすることはもうなくなりましたね。再出発にはこういう散々なシーズンが必要になることもあるんでしょう。ああいうのはもう二度とないように願いますが、いい部分もあったのかもしれません。

多くのファンの目には、あなたはシャルケに移籍してすばらしいプレーをみせ、ドイツ代表に招集され、そして急カーブがあったように映ります。この見解には賛成ですか?
いや、チームがうまくいっていると選手個人も良く見えるもので。サッカーではプラスにもマイナスにも流れるときは早いし。代表戦で電源プラグを引っこ抜いた人がいたわけじゃないですよ(笑)。

サッカーに関する最後の質問です。センターバックとボランチ、どちらでプレーするのが好きですか?
もうわからなくなりましたねえ。比較のためにもう一度中盤でプレーしてみたいです。でもセンターバックでも気持ち良くやっています。

では最後に、あなたのルール地方融合度をチェックするためにルール地方辞典からいくつか出題させていただきます。『Tullux』『Bullemann』『Ömmes』、これらの言葉をご存知でしょうか。
うーん、1つめのは知りません。『Bullemann』は警官のことでは?

辞典によるとTulluxは「あることで無駄に大騒ぎする」ことだそうです。『Bullemann』はかつて子どもたちを驚かせるのに用いた架空の人物のことです。
『Ömmes』は食べ物でしょ?

「脅かすよりも楽しませてくれるような大きなもの」。大きな人に対しても使えるそうです。
じゃあラレのことだ(編集部注:ラルフ・フェアマン)。ラレはÖmmes。覚えておきます。



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2015/08/03

kicker掲載のノイシュテッター記事

kicker Ausgabe 064/2015 vom 03.08.2015
kicker 2015年8月3日発売 064/2015号

ノイシュテッターという人間

スケープゴートにされることはしょっちゅうで、そのプレースタイルは賛否両論を呼ぶ。それでもこのFCシャルケ04のプロ選手は、足が地に着いていて、かつ冒険心にあふれているのだった。

写真キャプション:新しいヘアスタイル、新たなモチベーション(テストマッチのクラーゲンフルト戦参照)、子どもたちとの新しいプロジェクト。ロマン・ノイシュテッターにはまだたくさんの目標がある。

ロマン・ノイシュテッターは昨日のことのように覚えているという――もう2年近く前の話だ。「あれはホームでのアウグスブルク戦。内田篤人へダイアゴナルボールを出したら、タッチラインを割ってしまった。するとささやき合う声がスタンドから聞こえてきた。その直後の似た状況で、僕はまたロングボールを蹴った。それが長すぎてゴールラインを割ると、スタンドのささやき声はさらに大きくなった」。ノイシュテッターはそのミニエピソードをこう締めくくった。「それでも、僕は3本めのボールをもう一度内田に出した――するとそのボールは届いて、そこからゴールが生まれたというわけ」。観客のささやきには気付いていたが、ノイシュテッターは動揺しなかったのだ。「己のやり方に忠実でありたい」と彼はきっぱり言う。たとえこんな観客の声をまともに聞かされることがあろうと――「ノイシュテッターの野郎め!」

このシャルケのディフェンダーが批判にさらされることはしょっちゅうだ。定着した感すらある。「なんでそうなのかはうまく説明できないけど」本人は頭をひねり、「自分のプレースタイルは、一部の人にすぐには理解されないのかもしれない。派手なプレーヤーでもなければ、ショーをお見せするわけでもないし。僕は守備的ミッドフィールダーで、1シーズンに20ゴール決めたり40アシストするのが仕事ではない。まず第一に、ゲームを整え、守備と攻撃のバランスを作り出すこと」。それには「ボールが全く来ないこともあるスペースを埋める」のも含まれるという。「これはあまり目立たないことかもしれない。それで相手にかわされたりすれば、あまり良くは思われないだろうし。でも、チームとしてしっかりコンパクトにプレーしていないと、中盤でボールを奪うのは難しくなるもので――特に数的不利の状況では」。ノイシュテッターは「外部からの批判をあまり深刻に受け止めすぎないように」しており、自分を「とても自己批判的」だと言う。

27歳の彼が対話のできる人間であることは間違いない。先月、サポーター事件があったオーストリアのトレーニングキャンプでそれは証明済みだ。フェンスの向こう側にいたグループから個人的に侮辱を受けるはめになったのだが、ノイシュテッターが近付いて行くと、その無礼者たちは急におとなしくなった。口汚い言葉を吐かれて「驚いた。その練習で僕は一番いい数値を出している中にいたんだから――その時点ではそう見えていなかったのかもしれないけど」とベテラン選手の彼は言う。「でも、チームがすぐ僕の味方についてくれたことには驚かなかった。こういうことがあると、仲がさらに深まる。自分自身にも他の人にも信頼が生まれるから」

元グラートバッハの彼のプレースタイルには賛否両論があるのかもしれないが、模範的なプロ選手の姿を体現していることに議論の余地はない。「実に頼りになるチームの支柱。彼の言葉には非常に重みがある」と監督のアンドレ・ブライテンライターは言う。「ロマンは常に一生懸命で協力的。それにとても性格がいい」とはホルスト・ヘルトディレクターの評だ。「彼はチーム内で高く評価されている。これまでのどの監督にも、私にも。昨シーズンは、我々みんなと同じく彼にとってもなかなか大変だったが、ほとんどの試合に出場してきた。彼が負傷離脱したのはいつだったかまったく思い出せない」。ノイシュテッター自身もこう言う。「特にここ3シーズンはほとんどの試合に出ている。これはやってきたことの証明でもある。でもそこを評価してくれる人がもっと増えるとうれしい」

ノイシュテッターは秘訣を明かした。「心掛けているのはいい食事と早寝。それとストレッチはよくやっている。個人トレーナーをつけていて、オフの日も一緒にトレーニング」。マッサージ台にのんびり寝そべっているプロサッカー選手のイメージは、彼にはまったく当てはまらない。「マッサージは避けるようにしていて。僕には合っていないのか、翌々日までしっくりこないから。いつも少し張っている状態がよくて、負荷をかけている方が自分の体には効いている感じがする。サウナとかは僕には効果ゼロ」。その代わりに「1年半前にヨガを始めた。ストレッチ、深呼吸、スタビライゼーションを重視して」

ピッチを離れたノイシュテッターはどんな人間なのだろうか。彼はウクライナで生まれ、その後キルギスで育ち、4歳でドイツに来た。落ち着いた今は、足が地に着いていて、かつ冒険心にあふれている。「僕は何にでもオープンだし、いろいろやってみるのが好き。旅行で行くのはいつも変わったところで」と、このオフに経験した5週間の世界旅行について熱く語った。「インドのムンバイにいて、それから内田篤人に会いに東京に行ったんだけど、息をのむほどすばらしかった。彼以上の案内役は望めないだろうね」。そして旅はハワイへと続く。ビーチリゾート?とんでもない!地上の楽園に行ったのだ。「火山をよじ登ったり、星を見に山へ行ったり」。元同僚のジャーメイン・ジョーンズをロサンゼルスに訪ね、一緒に「ヘビのいる荒野にテントを張った。次回はぜひアフリカでサファリを体験したいし、サメとダイビングもしたい。おりの中で!あ、おりに入るのはこっちね、サメじゃなくて」

ノイシュテッターはおりの中で生活せざるを得ない人間も見た――貧困というおりの中で。インドのチャリティー・プロジェクト "Anstrengung United" でのことだ。インドでプレーしている元レーバークーゼンの選手、マヌエル・フリードリヒが「紹介してくれて。僕は単純にいいことがしたいと思って、何ができるかその組織に問い合わせた」とノイシュテッター。「おもちゃやプレゼントをたくさん詰め込んで、子どもたちに持って行った。ユニフォームやサッカーボールもね。素敵な一日を過ごしてもらおうと、一緒に遊んだり、絵を描いたりした」

ムンバイの生活環境は印象的だったという。「向こうの状況は僕らが知っているそれとはまったく違う。人々が道ばたに寝転がって眠っていて、その上を人々が行き交う。あれを見ると、自分の生活の価値がよりわかるんじゃないかな」。「その組織とは連絡を取り続けて」いくつもりで、「これからも活動を行うことはじゅうぶん考え」られるという。「いつか小さなスポーツスクールを開くとかね」。そして子どもたちがパスを失敗したら、ノイシュテッターという人間はこう声をかけるのだろう。大丈夫、次もまたそれをやってみよう、己のやり方に忠実であれ、と――。彼がホームでのアウグスブルク戦でやったように。
Toni Lieto


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2015/07/08

WAZのブライテンライター監督インタビュー

ブライテンライター
シャルケのスターたちに明確な方針を示すブライテンライター
http://www.derwesten.de/sport/fussball/s04/schalke-trainer-breitenreiter-will-draxler-vor-erwartungsdruck-schuetzen-id10861482.html



写真キャプション:「ピッチ上には明確な方針がある。それに沿わない者は大変」とシャルケのアンドレ・ブライテンライター監督。

フェルデン。 シャルケの監督アンドレ・ブライテンライターと、フェルデンでのトレーニングキャンプ、プレーシステム、クラウディオ・ピサーロについて話をした。

アンドレ・ブライテンライターはファルケンシュタイナー・シュロスホテル庭園内のベンチに座っていた。水曜日の晩には、アウストリア・クラーゲンフルトとのテストマッチで初めてサッカーブンデスリーガ1部・シャルケ04のベンチに座る。

ブライテンライターさん、昨シーズンのシャルケは成果なき戦術の虫でしたが、あなたが未来に思い描くプレッシング・マシーンへと変身させるにはどうすればいいのでしょうか

ブライテンライター:その概念は私が作り出したものではないけれど、プレッシングとゲーゲンプレッシングが、我々の構想において中心的な役割を担っているのは事実です。ゴールの50%は、相手ゴール前3分の1のエリア内でのボール奪取から生まれている。これはデータで証明されています。だから我々もボールを多く奪えるようにしたくて――練習で重点を置いているのもそこです。相手にプレスをかけ、不正確なボールを蹴らせる。その適切なタイミングはいつなのか、状況を感覚でつかめなくてはいけません。そしてそうやって生まれた混乱を10秒以内に利用する。バルセロナはそれを見事にやってのけるわけです。

シャルケの攻撃の「すさまじい能力」を信じるブライテンライター

チームのプレースタイルはそんなに簡単に変えられるものですか

ブライテンライター:どうメンバーが編成されているのかということは、プレーの方向性には当然大きく影響します。しかし、攻撃面においてすさまじい能力を持つ選手たちはシャルケにいる、私はそう確信しています。彼らが短いルートでもゴールを奪えるようにすることだって必要です。それはただ前へ攻撃したいという意味ではないのですが、守備の位置が高いほどゴールまでのルートは短くなるもの。自分たちがボールを失ったらすぐに向かって行くことも、選手たちには体に覚え込ませてほしいと思っています。私が去年パーダーボルンで経験したのは、シャルケの選手をかわすのは比較的簡単だったということでして――シャルケにはあれだけ力があるというのに、です。

昨シーズンは走りに関する数値が低かったシャルケですが、このようなチームに運動量の求められるプレーは可能でしょうか

ブライテンライター:もちろん。なぜそのようなデータが出たのか、よく考えてみることも必要です。基本方針、それにケガの影響もあるでしょう。ここでは非常にハードなトレーニングをたっぷりやっています。3部練習もありますし、そのためには早起きだってしなければいけません。やりたいことに必要なスタミナをそうやってつけていくのです。でも大事なのはもちろんプレスだけじゃありませんよ、絶え間なくやっていたら30分でノックアウトされてしまいますから。そこは臨機応変に。

それ以外に、シャルケでのあなたのサッカーはどういうものになりますか

ブライテンライター:自分たちがどう攻めていくのかという手段を、ボールキープ中に明確にしておくこと、これももちろん重要です。偶然任せではなく、何が起こるのか選手たちにはわかっていてほしい。それが自信につながります。能力自体はそれほど高くなかったSCパーダーボルンも、そうすることでリーグ最多のゴールチャンスを生み出せたのです。

シャルケのドラクスラーを期待の重圧から守りたいというブライテンライター

シャルケの方が能力は上ですが…

ブライテンライター:その通りです。前のクラブでうまく機能したことを、今度はシャルケのようなチームで実行に移すというのは、すごくわくわくしますね。選手たちに言ったことがありましてね――能力があってこそ試合に勝てる。だが、能力があってコンディションが整っていれば、もっと試合に勝てる。能力とフィットネスのほかに、さらにプランがあるとしたら。誰が我々全員を打ち負かせるだろうか。難しいだろうと。

ユリアン・ドラクスラーという、速くゴールに向かえる選手をあなたは手にしていることになります。しかし、ケガの影響もあり、この2年間はその実力をほとんど発揮できませんでした。あなたが彼に期待することとは

ブライテンライター:彼に対する期待の重圧は、極めて大きいと感じます。そこは私がどうにか守ってやりたい。開幕前の準備に今年は全部参加できるというのは、ユリアンにとっていいことです。去年はワールドカップがありましたから。特別なレベルの選手でいたい、世界の頂点に行きたいと本人は当然思っているでしょうが、私が彼に期待しているのは、そのステップのためにハードワークをすること、才能だけには頼らないこと。彼はこの1週間しっかり実行していますよ。

FCアーセナルはこの夏もオファーを用意するのではないかという噂が絶えずささやかれていますが…

ブライテンライター:私はユリアン・ドラクスラーを100%構想に入れています。開幕前の準備をしっかり行い、我々みんなから必要なサポートを受ければ、彼のシーズンはすばらしいものになると私は信じています。

ジョエル・マティプも、ニューカッスルとの関係が繰り返し取り沙汰されています。絶対に引き止めたいですか

ブライテンライター:ええ、もちろん。2、3週間先のことなんて誰にもわからないとはいえ、ジョエルは大事なセンターバック。サッカーで成果を出したいならチームに定数が必要で、ジョエルはそのうちの1人です。



攻撃陣の補強を望むシャルケ監督のブライテンライター
http://www.derwesten.de/sport/fussball/s04/schalke-trainer-breitenreiter-wuenscht-sich-eine-verstaerkung-im-angriff-page2-id10861482.html


あと1人フォワードを探しているとのことですが。クラウディオ・ピサーロのようなベテランは戦力になり得るでしょうか

ブライテンライター:前線をともかく補強したいのは事実です。でも名前は何も出したくありません。

前任者のロベルト・ディ=マッテオには、常にどこか近寄りがたい印象がありましたが、あなたはこれまで選手たちにうまく受け入れられています。「手で触れることのできる(=身近な存在)」タイプの監督だと言えますか

ブライテンライター:比較はしたくありません。私にとって大事なのは、チームと密接な関係を築くことですが、力を出して頑張っていないと、お互い思う存分楽しむこともできないというのも、選手たちはわかっています。それでこそ、肩を抱き合い、冗談も言い合えるというものです。私が期待するものは多いが、与えることができるものも多い。ピッチ上には明確な方針があります。それに沿わない者にとっては大変ですが、チームからそういう印象は全く受けません。選手たちの自己モチベーションは高く、休暇中もしっかりトレーニングしていたことがうかがえます。これからの我々の仕事は非常にハードなものになるということも頭にあったのでしょうね。昨シーズンに対する不満というのは、選手たちにとっても非常に大きいので。

ファンのためのサッカーをしたいとブライテンライター

あなたの来季のプランを聞くと、ライバルもうかうかしていられないと思わせられますが…

ブライテンライター:去年それぞれの場面でどんな能力が引き出せたのかは把握しています。その能力だともっと試合に勝っていてしかるべきなのは言うまでもありませんが、我々は腰を据えてやっていきます。まずはファンが共鳴でき、FCシャルケ04に合ったサッカーを取り戻すこと。気持ちや情熱が問われる部分でもありますが、それだけでは足りません。明確な戦術的ゲームプランとフィットネスというのは、それを実際に生かすために必要なのです。

ペップ・グアルディオラは先日、シャルケをバイエルンの危険な存在になりうるチームの一つに挙げていました。彼の気は確かなのでしょうか

ブライテンライター:我々にここでどう言えと?大事なのは、しかるべき時に良いコンディションでいること、ぶれずにやること、考えを実行に移すこと。その結果がどうなるかは、最後にわかることです。


Manfred Hendriock


※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい



2015/06/15

ヘーヴェデス公式フェイスブックページのメッセージ

Liebe Schalker,seit 14 Jahren darf ich das königsblaue Trikot tragen. Ich bin dankbar für einen Verein zu spielen,...

Posted by Benedikt Höwedes on 2015年6月15日


https://www.facebook.com/Benedikt.Hoewedes/photos/a.595228807206447.1073741825.102146853181314/908651289197529/

シャルカーの皆さんへ

僕がケーニヒスブラオのユニフォームを着て14年になります。血の通った心を持つクラブ、どんな試合でもホームゲームにしてくれるファンがいるクラブでプレーさせてもらっていることに感謝しています。

ブンデスリーガ内での移籍を考えていないことは、前から言ってきました。オファーが具体的なものになったとき、ある疑問が浮かびました。昨シーズンのような後半戦をもって僕はブンデスリーガと皆さんに別れを告げたいのかと。否!

意欲的な監督や――彼とはこの数日間でしっかりといい話し合いをしました――ハングリーな若手選手たちと共にFCシャルケ04の新時代を築くべく、僕はチームのキャプテンとして貢献します!一致団結し、以前とは基本的枠組みの異なるプロサッカーにおいてFCシャルケ04が今もなお Kumpel- und Malocherclub(鉱山労働者仲間のクラブ)であり続けていることを示す。そういうチームと共に。

ここ数十年のクラブで最も偉大な成功が生まれたのは、ユーロファイターがいた時でした。あれから何年も経った今、僕らは再びヨーロッパリーグの舞台に立ちます。あの成功を受け継いでいくために、僕は全力を尽くします。いよいよ僕らが行動で示す時です。皆さん、支えてくれてありがとう!

ベネディクト


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2015/05/09

EXPRESS.DEのマルコ・ヘーガーインタビュー

ケルン出身のシャルケスター インタビュー
マルコ・ヘーガー:トニ・ポルスターは本物のロールモデル!
http://www.express.de/fc-koeln/koelscher-schalke-star-im-interview-marco-hoeger--toni-polster-war-ein-echtes-vorbild-,3192,30660876.html


TOBIAS LEMPE

ケルン ― ロイヤルブルーのユニフォームの下で脈打つ赤と白の心!シャルケのマルコ・ヘーガー(25)はケルン生まれ、ベルギッシュ・グラートバッハ育ち、昔からのケルンファンだ。しかし、日曜日はシャルケ04として、ケルンの盛り上がりに水を差し、1部残留の決定を先延ばしにするという。EXPRESSはシャルケのシーズン、将来のプラン、今回の試合についてヘーガーと話をした。

ヘーガーさん、くるぶしの負傷から先週ようやく練習に合流したところですよね。試合には出られますか

はい!もう全然大丈夫です。練習には全部参加しています。試合出場には何の支障もありません。

今回の試合に出られなかったら、悔やんでも悔やみきれないところでしたね

そうですね、僕の家族はみんなケルン出身だし、僕も小さい頃からケルンファンですし。あのスタジアムでプレーするのは特別なことなんです。雰囲気がいつも良くて。

過去2シーズン、ミュンガースドルフ(※訳者注:ケルンのホームスタジアム所在地)で試合に出ることは叶いませんでしたが…

ケルンが2部だったのが残念です。でも1部と2部を行ったり来たりしているクラブとしてのケルンしか知らないんですよね、僕は。それが終わったのならいいなと思います。トニ・ポルスターが本物のロールモデルだったのは覚えていますよ!

あなたのクラブの話をしましょう。シャルケはヨーロッパリーグ出場権獲得をかけて戦わねばなりません。望んでいたものとは違うのでは

それは僕らもわかっています。ケガ人がたくさんいたので、特別な期待をしてはいけないところもあります。そこでこんなにたくさん才能ある人材がクナッペンシュミーデ(※訳者注:シャルケのユース育成組織)から出てきて、起用されるのはいいことだけど、あるレベルでコンスタントにプレーすることは若い選手には難しいという面もある。僕らだってチャンピオンズリーグに行きたかったけど、状況が許してくれませんでした。

あなたの契約は2016年に切れます。契約延長の交渉をしているとのことですが

話し合いはしていて、けっこういい感じだと思います。あとは話し合ったことを文書にするだけです。

シャルケに行ってしまう前は、ケルンもあなたに興味を持っていました。それについて少し

アレマニア・アーヘンにいた僕にケルンから問い合わせがありました。でもその関心というのははっきりしたものではなかったんです。フォルカー・フィンケがディレクターだったけど、実際に具体的な話にはなりませんでした。時間が長くかかりすぎていたところに、シャルケが先手を取ったというわけです。いつかぜひケルンでプレーしてみたいとは思いますが、今のところまだその時期は来ていないので。シャルケにもすっかりなじみましたし。

そして今回ケルンの盛り上がりに水を差すプレーを、つまり1部残留の先延ばしをされると…

ええ、ヨーロッパリーグ出場権獲得へ大きく前進したいし、思わぬミスというのは僕らにはもう許されないので。ケルンにかかっているものがいろいろあるとしても、僕は何の気遣いもできません。

第1戦はケルンが勝ちましたが…

あれは痛かった!僕はケガをしていたけど、自分たちのアレーナで負けるというのは毎回つらいもので――1:2で負けたのは二重に痛かったんですよ、友人や家族からちょっと言われる羽目になったから。


ヘーガーのライフスタイルメモ

服装:特別なブランドは着ていない。今はオーバーサイズド・ルックが好き。丈の長いシャツに股上の深いパンツ。

音楽:一番好きなのはR&Bとヒップホップ。

好きな食べ物:鴨。アジア風じゃなくて。(※訳者注:"ente asiatisch"で画像検索を。鴨肉(アヒル肉)といえば中華をはじめとするアジアンレストランの定番メニューでもある)

iPhone派かAndroid派か:iPhone!

アプリ:そんなにない。フェイスブック、インスタグラム、音楽用のShazam。ゲームは全然。

SNS:インスタグラムとフェイスブックやってます。

テレビゲーム機:プレステ一筋!

恋人:おかげさまで8年になります。

最近読んだ本:ディエゴ・マラドーナの伝記。

車:フォルクスワーゲンのトゥアレグとベンツのSL。

お気に入りの旅行先:マイアミ!前回行ったのはモルジブだけど。

初めての給料で買ったもの:アウディS5。数回分のお給料で。

メッシかロナウドか:メッシ!




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2015/05/04

Football Magazin公式サイトのエルウィンインタビュー

大の男エルウィン
http://footballmgzn.com/schalke-maskottchen-erwin-s04-geburtstag/


Andrés de Kartzow

シャルケでカルト的地位を得ているエルウィン。ロイヤルブルーの坑夫(※訳者注:直訳。シャルカーの意)の彼は、もうお子様向けの誕生日会なんてもので満足はしない。なんといっても本日20歳の誕生日を迎えたのだから。おめでとう、大人の男よ!ついにシャルカーの彼が口を開いた!インタビューの中で、エルウィンは世界で一番クールなマスコットでいるための条件を明かした。ライバルのマスコットたちへの宣戦布告だ――。


シャルケのマスコット エルウィンインタビュー

キミの特徴とは?
半人半獣、背中に「ヌルフィア(04)」!四角いどた靴(靴のサイズは57 ※訳者注:約36~37cm)であることを感じさせない、抜群のボールさばき。ボールを操ることにかけては、ボクの右に出る者はいないね。それ以外だと、でっかい鼻かな。嗅覚器としては世界でゾウの鼻の次に大きいんじゃないかな。

マスコットとしての任務で一番好きなものは何?あまり好きでないものは?
一番好きなのは、もちろんチームと一緒に勝利を祝うこと。あまり好きじゃないのは、気温が高いこと、負けること、それにリューデンシャイド北地区(※訳者注:シャルケ側の人間によるドルトムントの別称)の黄黒マルハナバチ。

キミは少し前に成人したわけだけど――出向くのは子どもの誕生日会だけ?パーッと飲んで騒ぐなんてこともあるのかい?
ちょっとちょっと!ボクはもう2年前に成人してるってば。運転免許も持ってるし、それからはよく出歩くようになったよ!

いいマスコットになるための秘訣を教えてくれないかな。
偉ぶらず、大勢の観客の前で失敗するのを恐れないこと。常にファンのためにいること、そして共に喜び合うこと。ワンマンショーをやるんじゃなくてね。マスコットであるボクはしゃべれないから、コミュニケーションはいつも楽勝というわけじゃないんだけど。でも身振り手振りでだいたい何とかなるものだよ。


Erwin wird 20! Das kann ja nur ne tierisch coole GEburtstagsparty werden 󾔗󾔐

Posted by FC Schalke 04 on 2015年5月4日



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2015/04/14

WAZの内田篤人の記事

Was hat "Uschi" eigentlich getan, dass er nicht mehr spielt? Habt ihr eine Erklärung?

Posted by WAZ auf Schalke on 2015年4月14日

システム変更――それでも「オフサイド」の内田
http://www.derwesten.de/sport/fussball/s04/uchida-auf-schalke-nur-noch-im-abseits-id10564089.html


ゲルゼンキルヒェン。 シャルケの人気者、内田篤人はロベルト・ディ・マッテオの指揮下ではどうも分が悪い。ダービー後は先発を外れ、控えにとどまっている。

試合後にいつも一番乗りでロッカールームから出てくる内田篤人。この小柄な日本人の彼ほどシャワーが短い者はシャルケにはいない。もっとも、数週間前から『ウッシー』は試合後のシャワーもなしで済ませているかもしれない。内田篤人は3月10日を最後にただの1分もシャルケでプレーしていない――ロベルト・ディ・マッテオのもとで蚊帳の外に追いやられているのだ。疑問がそろそろ頭から離れなくなってきた。なぜ監督はこの右サイドバックをここまで無視するのだろうか。

2月28日、ドルトムントでのダービーの屈辱を最後に、内田はレギュラーの座を失った。その後の試合出場はたったの2回。勝利を収めたホッフェンハイム戦では、累積退場の恐れがあったクリスティアン・フクスとの交代で、マドリードでの4-3の大勝利の際には、残り時間9分というところでピッチに入った。ディ・マッテオはトランキーロ・バルネッタに託すことが多く、それは長期間採用してきた3-5-2システムにおける戦術的な要求なのだと説明した。「バルネッタは」つい2週間前のことだ。「そこで内田よりも攻撃的なバリエーションとなる」。当時ならそれも十分に納得がいく。3-5-2システムにおける中盤のサイドは、攻撃面でもっとプレスをかける必要があるからだ。

ファルファンとの強力なコンビ
しかし、ディ・マッテオは最近の1.5試合で4-2-3-1システムに戻しており、そこでもなお内田にポジションを与えていない。ベネディクト・ヘーヴェデスというベテランのセンターバックを右サイドバックの位置に据えたのだ。これは驚き不思議がられるのも無理はない。ジェファーソン・ファルファンが元気に復帰しているのだからなおさらだ。このペルー人の攻撃的プレーヤーとともに、内田は何年も完璧に息の合った右サイドを形成してきた。ファルファンが負傷していた冬に内田はこう言っていた。「ファルファンはピッチでの僕のパートナー。彼がいないときはすぐわかる」。そのファルファンがいる今、内田はピッチの外にいる。

じきにディ・マッテオもこのコンビの実力がわかるだろう――頭の切れる戦略家で通っている彼のことだ。しかし、このイタリア人の彼には彼なりの考えがある。それゆえに監督に呼ばれているのだから。ところが、ディ・マッテオ就任後のシャルケで、これまで目に見える成長をした選手はほとんどいない。最も伸びたのはリロイ・ザネかもしれないが、19歳としては特に珍しいことでもない。それに、ザネは危機的なメンバー状況の中でチャンスをもらっていたのであり、先日のフライブルク戦ではメンバー入りすらしていない。トランキーロ・バルネッタとクリスティアン・フクスは確かにディ・マッテオ就任でアドバンテージを得たが、それも3-5-2システムあっての話だ。一方で、この半年間に調子を落とした選手は数人いる。例えばマックス・マイヤーやケヴィン=プリンス・ボアテングだ。そして内田も今のところ全く活躍の場が与えられていない。

『ウッシー』は日本人ファンの人気者であるだけではなく、この数年間シャルケでレギュラーに定着していた――2010年からの全監督の指揮下で。ケガで休養するまで、特にここ数シーズンは戦術面で成長してきた。9月に復帰を果たし、その後まもなくシャルケでの契約を2018年まで3年延長した。ディレクターのホルスト・ヘルトはその喜びをこう語っていた。「長くクラブに留まってくれる選手をもう一人、という我々の目標が叶った。篤人という、とてつもなく頼りになり、長期にわたって変わらぬレベルでプレーしている選手を」

それもダービーまでだった。以来、彼はレギュラーの座を失っている。

Manfred Hendriock



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kickerの内田篤人の記事

シャルケ:ダービー大敗後は圏外に

内田のひそやかな降格
http://www.kicker.de/news/fussball/bundesliga/vereine/624925/artikel_uchidas-stiller-abstieg.html


0-3に終わったドルトムント戦以降、ケヴィン=プリンス・ボアテングがシャルケの先発メンバーに名を連ねることはなくなった。これは何週間も前から取り上げられている話であり、かつての『リーダー』は、試合に出ていようがいまいが評価が二分する。一方で、まさにひっそりと――まさに同じくダービーの大敗後に――もう一人のシャルカーがレギュラーの座に別れを告げていた。右サイドバックの内田篤人。23節以降は途中出場が一度あったのみだ(3-1のホッフェンハイム戦)。

写真キャプション:わずかな途中出場――内田篤人はロベルト・ディ・マッテオ指揮下ではベンチに甘んじる

この日本人の彼にとってはまったく新しい経験だろう。2010年夏にフェリックス・マガトによりシャルケに移籍して以来、その信頼性と献身性はこれまでの監督全員に高く評価されてきたからだ。マガトだろうがラルフ・ラングニックだろうが、はたまたフーブ・ステーヴェンスだろうがイェンツ・ケラーであろうが――実際この『サムライ』は、これらの指揮官たちのもとで常にレギュラーに「定着」してきた。

戦術上の欠点とセンタリングの弱点ゆえに、当初は長らく評価が定まらなかった内田だが、時とともに観客の心を掴んでいった。ファンたちは彼のたゆまぬ向上心、そして何より控えめで謙虚ながら愛想の良い物腰を買った。彼の態度というのは、この業界では際立って好感度の高い人だという印象を与えるのだ。

なぜ内田は現在ディ・マッテオ指揮下でお払い箱になっているのか。これは一見しただけではわかりにくい。確かにドルトムント戦での内田の出来は、期待外れなチーム組織全体に完全に一致するものであった。しかし、だ。kickerによる採点の平均は3.29と、彼は今季のシャルケで最高のフィールドプレーヤーだといえる。ディ・マッテオはそれでも3-5-2システムでトランキーロ・バルネッタを起用したのだ。「攻撃的なオプションとなる」からと。

内田に代えてヘーヴェデス――プレーでのサポートを得られないファルファン

理由がそれなら納得もいく。だが、先週土曜日のフライブルク戦で4-2-3-1フォーメーションに戻したにもかかわらず、内田が引き続きベンチを温めていたのは驚きだった。再び先発に戻ってきた右ウィングのジェファーソン・ファルファンとは、何年も前からすばらしく息の合ったコンビを形成していただけになおさらである。今回ベネディクト・ヘーヴェデスというベテランのセンターバックが右サイドバックとして出たことで、ファルファンの影響力もいくらか失われてしまった。必然的にプレー時のサポートが得られなかったからだ。このことが近く内田のチーム復帰に繋がるかどうかは、待ってみなければわからない。

確かなのは――右サイドバックのスペシャリストをもう1人獲得する、これはホルスト・ヘルトディレクターの移籍関連業務の中で最も緊急を要するものの一つだということだ。2018年まで契約のある日本の彼が今後ディ・マッテオのもとで得る評価の如何にかかわらず。

Thiemo Müller



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2015/03/09

Sportsnaviの記事比較

スポーツナビ掲載記事「称賛される内田篤人の変わらぬ仕事ぶり 苦境のシャルケで必要なクラブ精神の発揮」を執筆したダビド・ニーンハウスさんが、ご自身のサイトDas SportWortでドイツ語の記事をアップしました。読み比べてみると、完全な誤訳と思われる箇所を含め異なる文脈が多数存在するので、列記してみました。

スポーツナビの記事中の、ここに挙げている日本語記事に対応する箇所をそのままドイツ語記事の訳に置換すれば、ニーンハウスさんのサイトの記事とほぼ同じ文脈になります。

もちろんニーンハウスさんのサイトに掲載されている文章は新たに編集済みでスポーツナビの日本語記事の原文と同一ではない可能性もあります。また、スポーツナビの日本語記事にニーンハウスさんのサイトでは書かれていない箇所があり、スポーツナビの日本語記事もまた文章のバランスを考えて編集されているのではないかと思います。



DasSportWort goes Japan: Uchidas neue Aufgaben auf Schalke
http://david-nienhaus.de/?p=4729



称賛される内田篤人の変わらぬ仕事ぶり
苦境のシャルケで必要なクラブ精神の発揮

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/eusoccer/1415/columndtl/201503070001-spnavi
 (1ページ目)


【日本語記事】内田篤人は低く構えて、ボールの後ろから目をこらす。最後まで似たような姿勢のままで、試合終了の笛を聞いた。
【ドイツ語記事】内田篤人はピッチに倒れたままボールを目で追った。その球が揺らしたゴールネットは、南ゴール裏から沸く熱狂的な歓声に小躍りしているように見えた。


【日本語記事】シャルケの日本人選手は、世界最優秀選手に対して何もできなかった。
【ドイツ語記事】そこでシャルケの日本人選手が相対したのは、他でもない世界最優秀選手だった。


【日本語記事】「一度ならず、左サイドのアオゴ以上に効果的なプレーを見せてはいた」
【ドイツ語記事】その巨大任務を手堅くこなした。「左サイドのアオゴ以上に相手を効果的に抑えていることがほとんどだった。――ただ一度だけうまくいかなかった」


【日本語記事】しかし試合ではレアル・マドリーが2−0で勝利しており、その得点者の一人はC・ロナウドだった。
【ドイツ語記事】その(ただ一度だけうまくいかなかった)シーンで2点目をお膳立てしたのは、C・ロナウドだった。


【日本語記事】「現状で、内田が負う責任は少しずつ大きくなり続けている」
【ドイツ語記事】「現在、内田が負う責任は少し大きくなっている」


【日本語記事】ダービーでも、その仕事ぶりは変わらなかった。~中略~それでも内田は自分の仕事を放棄するようなことはなかった。
【ドイツ語記事】記載なし


【日本語記事】ロイスは自分の働き場を、シャルケの3バックの隙間に求めることが多かった。
【ドイツ語記事】記載なし


【日本語記事】「ウッシー(内田)は常に、守備面のタスクに集中することを求められた」
【ドイツ語記事】「危ういときは、ウッシー(内田)は常に守備面のタスクに集中するつもりでいる」
※ダービーに限らずいつもその意識でいるという意味



称賛される内田篤人の変わらぬ仕事ぶり
苦境のシャルケで必要なクラブ精神の発揮

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/eusoccer/1415/columndtl/201503070001-spnavi?page=2
 (2ページ目)


【日本語記事】ファンとクラブの一体感がそこにはあった。
【ドイツ語記事】記載なし


【日本語記事】チームの中でも常に、内田は自分の役割をしっかり認識している。
【ドイツ語記事】チームの中でも内田はずっと前から自分の役割を認識している。笑いを取って楽しませるという役割を。


【日本語記事】チームで一番の親友であるユリアン・ドラクスラーは、内田に短い愛のメッセージを送っている。
【ドイツ語記事】チームで一番の親友であるユリアン・ドラクスラーに、内田は短い愛のメッセージを送っている。


【日本語記事】すると内田は紙の切れ端にこう記した。
【ドイツ語記事】内田は紙の切れ端に記した。


【日本語記事】そんな妙味を心得た役割分担を、内田はピッチの上でも引き受けている。
【ドイツ語記事】記載なし


【日本語記事】「試合の中ではとてもおとなしく、ブンデスリーガや国際レベルという“サメ入りのオリ”の中で、1対1の弱さも露呈されていた。
【ドイツ語記事】「プレースタイルはとてもおとなしく、ブンデスリーガや国際レベルという“サメ入りのオリ”の中で、サイドバックとしては若干1対1の弱さも露呈されていた。


【日本語記事】今では、フェリックス・マガト監督の時代から残る選手たちの中でも、一番の“遺産”だと考えられている。
【ドイツ語記事】今では、フェリックス・マガト監督の時代から残る選手たちの中でも、最高の“遺産”の一人であると考えられている。


【日本語記事】今季当初は振るわなかったのも、ワールドカップの疲れもあり、プレー時間を得られないことだけが問題だった。ラフィーニャの後継者として、ゲルゼンキルヒェンで議論の余地ない先発選手の地位を確立している」
【ドイツ語記事】当初は “ライバルがいないために出場機会を得られている、非常時のまにあわせにすぎない” と見られていたが、ラフィーニャの後継者として、ゲルゼンキルヒェンで議論の余地ない先発選手の地位を確立した」
※“シャルケ入団当初”は実力に懐疑的な目を向けられていたという話。


【日本語記事】相手だけではなく、チームメートも尊重しすぎてしまうことがある。
【ドイツ語記事】さらに無理に粗探しをするならば、トップスターと相対したときにリスペクトしすぎてしまうことがあるようにみえるというところだろう。


【日本語記事】記載なし(内田はダービーでの敗戦が、の前部分)
【ドイツ語記事】どんな美辞麗句を並べても、苦いあの瞬間は変わらない。内田はピッチに倒れたまま、できればこのまま消え入りたかった。試合終了後のシャルケのロッカールームはしんと静まり返っていた。


【日本語記事】単なる失敗ではなく、“完璧なる失敗”が、何人の選手から見られた。
【ドイツ語記事】チームとしてうまく機能せず、選手の何人かは“完全なる役立たず”だったという。


【日本語記事】選手たちは落ち込んではいなかったし、クラブの精神を口にした。
【ドイツ語記事】クラブの精神を内面化できていない選手も何人かいただろう。


【日本語記事】内田にはすでに、驚異的なスタミナと戦術的規律が備わっている。長い時間かけて培ってきたその力を、正しい方法で発現させればいい。
【ドイツ語記事】内田はレデマンの言うところの驚異的なスタミナと戦術的規律で、長年にわたって炭坑労働者タイプへと成長してきた。


【日本語記事】ダービーでの2失点目で、ヘンリク・ムヒタリアンを長く走って追いかけながら捕まえきれなかったことも、次への糧とすればいい。
【ドイツ語記事】ダービーでの2失点目で、ヘンリク・ムヒタリアンを見失ったことは否定できない。


【日本語記事】それでも内田は、その苦難に正面から立ち向かっていくに違いない。いつものように、飄々(ひょうひょう)と。
【ドイツ語記事】記載なし





2015/02/21

RP ONLINEの内田&ドラクスラー置き手紙記事

ドラクスラーにメッセージを送る内田
「調子どお?がんばつてる?」
http://www.rp-online.de/sport/fussball/fc-schalke-04/fc-schalke-04-aleskrar-oda-asch-ab-aid-1.4894188


写真キャプション:ユリアン・ドラクスラーと内田篤人は非常に仲が良いとみえる。

2010年から内田篤人はFCシャルケでプレーしている。日本人である彼はもちろんドイツ語を頑張って勉強しているのだが、そう簡単なことではないようだ。チームメイトのユリアン・ドラクスラーに送ったメッセージからわかるように、内田が挑戦する作文はまだ少したどたどしいものの、チャーミングというほかない。

「調子どお?がんばつてる?」。太ももの腱損傷で現在休養中のドラクスラーに尋ねる内田。攻撃の選手であるチームメイトの不在を、極東出身の彼はとても寂しがっているようだ。短いメッセージの最後には「キミはいなくてウシーさみしい ダーリン」。サッカーボールと小さなハートが描き添えられている。


この日本人の彼からのすてきな言葉にドラクスラーは喜び、ファンにシェアするべく、すぐさまフェイスブックでそのメモを公開した。コメント欄はどんどん伸びている。「これかわいすぎるでしょ」と女性サポーター。「内田最高」という意見も多数のフェイスブックユーザーから寄せられている。

W杯優勝メンバーのドラクスラーは昨年10月31日のFCアウグスブルク戦で負傷し、11月に手術を受けた。2月末の基礎トレーニング開始を予定している。

出典:RP/areh



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2015/02/16

SPOX.comのロンバルドコーチインタビュー

シャルケアシスタントコーチ アティリオ・ロンバルド

「『良い』だけではまだ足りない」
http://www.spox.com/de/sport/fussball/bundesliga/1502/Artikel/atillio-lombardo-interview-schalke-weg-von-mancini-arbeit-mit-di-matteo.html


イタリアサッカーでさまざまな顔を持つ男の一人、アティリオ・ロンバルド。49歳の彼は今季からFCシャルケ04でロベルト・ディ・マッテオのアシスタントコーチを務めている。チャンピオンズリーグタイトル保持者、レアル・マドリードとの決戦(水曜20:45、テキスト速報)を前に、ロベルト・マンチーニのもとを離れた理由、そしてシャルケにおける最大の問題点を明かした。

写真キャプション:アティリオ・ロンバルドはユベントスでチャンピオンズリーグ優勝、ラツィオとサンプでカップ戦優勝を果たしている

SPOX:アティリオ・ロンバルドさん、ドーハでの冬のトレーニングキャンプでは急遽プレーヤーとして紅白戦のピッチに立ちました。センセーショナルな復帰劇がもうすぐ見られるのでしょうか

アティリオ・ロンバルド:(笑)もう年だし、地力も落ちているのでついていけないですよ。けが人が多い状況だったので、君も入れないかとロベルト・ディ・マッテオが聞いてきたんです。もちろんそこでノーとは言いません。

プロフィール
  • 1月6日、サンタ・マリーア・ラ・フォッサ生まれ
  • ニックネーム:ポパイ
  • プロ選手としては主に右ウィング
  • サンプドリア、ユベントス、ラツィオなどでプレー
  • イタリア代表として7年間プレー
  • クリスタル・パレス、サンプドリア、マンチェスター・シティなどのイタリア、イングランドのクラブやガラタサライなどさまざまなクラブで指導者キャリアを積む
  • マンシティとガラタサライではアシスタントコーチやスカウティングに従事

SPOX:プレーヤーとしてもアシスタントコーチとしてもそうなんですが、練習を見ているとあなたは常に積極的に動き続けています。すごくアクティブですよね。一方ディ・マッテオはちょっと距離をとっていることもある。監督とコーチの役割は明確に決まっているのですか

ロンバルド:アクティブでいる必要があるのはみんな同じ。このチームを改善する使命があるんですから。プレーの面でもメンタリティの面でもそうです。ただ「良い」だけではドイツではだめ。仕事をちゃんとやっているだけではまだまだです。我々が到達すべきレベルは高い。全員がとても献身的なのはそのためです。

SPOX:シーズン途中での就任、それからまもなく3日周期で試合のある日々が始まり、チームに哲学を浸透させる時間も少なかった。トレーニングキャンプは特に重要だったのでは

ロンバルド:もちろんです。チームのさらなる成長が最重要事項。その意味では、アヤックスやアル・メリックとのテストマッチも大きかった。毎回の練習、毎回の試合が役に立っています。

SPOX:マンチェスター・シティそしてガラタサライでもロベルト・マンチーニと一緒に何年もやってきました。当時の主な任務は対戦相手の情報収集でしたが、シャルケでもそれは業務に含まれているのですか

ロンバルド:いえ、役割は変わりました。ここでは毎日グラウンドに立って監督の相談に乗るという、典型的なアシスタントコーチをしています。私にとってはこの変化がポイントでした。以前のようにもっとグラウンドに立つことが夢で。だからロベルト・ディ・マッテオから打診があったときにその挑戦を受けることにしたんです。

SPOX:チームにより近付けるからというのが、マンチーニのもとを去ってディ・マッテオとやることにした一番の理由であると

ロンバルド:はい。正直、ロベルト・マンチーニから離れるのは簡単ではありませんでした。マンチーニはヨーロッパで4、5本の指に入る監督で、一緒に働けるのは特別なこと。それでも私は新しい経験がしたかった。チェルシー退任後に新たな任務に取り組もうと考えていたロベルト・ディ・マッテオもそうです。その彼が「一緒に来て補佐をする気はないか」と聞いてきた。渡りに船でした。

SPOX:マンチーニとディ・マッテオはかなり違いますか

ロンバルド:マンチーニは戦術的なことに非常に重きを置いています。練習では選手を10人だけにして見ることが多い。ディ・マッテオは全グループ合同でやる。でもメンタリティに関しては違いはあまりないですね。

SPOX:その二人はイタリアサッカーを象徴していると

ロンバルド:マンチーニに関して言うなら、イエス。ロベルト・ディ・マッテオはイタリア、イングランド、スイス、ドイツの哲学を統合しています。

SPOX:ドイツに来て2、3ヶ月がたちました。これまでに「典型的なドイツ」だと感じたことは何ですか

ロンバルド:勝ちに行くプレーをするというメンタリティには、我々もすぐ気付きました。相手が来るのを待つことはないし、信条であるかのように後ろで引きこもるということもなく、攻撃の一手を探る。これはいいことだし、ドイツのサッカーファンが見たいと思うものでもあります。ファンたちはゴールが欲しいし、自分のチームが攻めるところを見たい。我々は一度ここで引きこもって、チェルシー相手に5ゴール浴びてしまいました。最初にして最後ではありますが。

SPOX:ミュンヘンでのバイエルン戦は例外ですね、シャルケが数的優位の状況で70分間プレーした……

ロンバルド:そりゃバイエルンですから。数的不利でも極めて危険で、一人欠けても違いがないと言えるほど高いレベルでプレーするので。

SPOX:新しい監督チームを迎えてからのシャルケには――その例外を除いては――上向きな変化が出てきています。理想としてはFCシャルケ04にどうなってほしいと考えていますか

ロンバルド:我々はここで何かを変えたいです。シャルケは監督交代を決断し、ロベルト・ディ・マッテオと契約することで哲学を変えることをも決断しました。我々の哲学とは、毎回の練習で一生懸命にやること。技術、戦術、そしてフィジカルの面で仕事に取り組んでいきたいです。

SPOX:その弱点には練習を行う中ですぐに気付きましたか

ロンバルド:就任前のシャルケは見ていないのですが、チームは何よりけが人の多さに苦しめられていました。ドーハではラルフ・フェアマンとデニス・アオゴ。ユリアン・ドラクスラー、レオン・ゴレツカ、ジェファーソン・ファルファンの離脱はそれよりも前からという。彼ら負傷者が戻ってくれば良くなるはずです。

SPOX:チームの柱がこう多く抜けていると、監督陣にとっても戦略の導入は簡単ではないのでは

ロンバルド:ええ、もちろん。後半戦の幕開けにはハノーファー、バイエルン、グラートバッハの3試合が1週間内に控えていたのに、ウィンターブレイクでは選手がちょうど11人なんてこともあったんですよ。10月に現体制がスタートしたときも手持ちの駒はひとかたまりだけという状態で、年末までそれでブンデスリーガもチャンピオンズリーグも戦い抜くことになって。これは選手にとっても我々にとっても簡単ではありませんでした。

SPOX:補強にも着手し、マティヤ・ナスタシッチを獲得しました。3バックでプレーできるからというのが主な理由でしょうか

ロンバルド:ええ、そこは大きなポイントでした。3バックはこれからも続けたい。このシステムのほうが合っているし、チームをより良く成長させることができると我々は考えているからです。チームの特色がより出せるのです。

SPOX:そのシステムを成熟させるには新戦力は1人で足りるのですか

ロンバルド:故障中の選手たちを待たねばなりません。ドラクスラーにファルファン、コラシナックにマティプ、そしてゴレツカと。彼らが2月に戻るなら、新たな選手は必要ありません。

SPOX:ナスタシッチの話に戻ります。彼のことはマンチェスター・シティ時代に一緒だったのでご存知ですよね。ここではどのような戦力になりそうですか

ロンバルド:強い選手なんですが、マンシティではマンガラ、コンパニー、デミチェリスと、ライバルが非常に多かった。まだ若いけれども、イタリアとイングランドでいくらか経験を積めています。たくましい選手で、ここでいい仕事ができるはずです。

SPOX:買い取りオプションを行使するなら、ナスタシッチにはドイツ語を勉強する必要も出てきます。ロンバルドさんたちは以前からドイツ語のレッスンを受けていたそうですね

ロンバルド:いやあ、ドイツ語は難しい言語ですよ、少なくともトルコ語と同じくらいには。それでも勉強しないと。選手たちを伸ばしたいなら、コミュニケーションを取る必要がありますから。

SPOX:ドイツでの生活は気に入っていますか

ロンバルド:ええ、とても。イングランドと似ている部分がたくさんあって。スタジアムからほんの3分のところに住んでいるので、サッカーの街の空気を満喫しています。トルコでもそうでした。人々がサッカーに生きている様子といったら、あちらもすごかったですよ。

SPOX:トルコの道路交通を懐かしく思うことは (※訳者注: "イスタンブール 車 運転" などで検索を)

ロンバルド:(笑)いやいや、ないですね。

インタビュー:Fatih Demireli



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2015/02/08

バルネッタ公式フェイスブックページのQ&A動画

バルネッタが1月30日に公式フェイスブックページでファンから質問を募集。

Hallo liebe Facebook-Fans,Ich hoffe, ihr habt ihr die fussballlose Zeit unbeschadet überstanden und dass ihr euch...

Posted by Tranquillo Barnetta on 2015年1月30日
「フェイスブックをご覧のファンの皆さん、こんにちは。サッカーのない期間を無事乗り越え、後半戦開幕を僕と同じくらい楽しみにしているのではないでしょうか!この機会にミニQ&Aスペシャルを開催しようと思います。僕に聞いてみたかったことを、この投稿のコメント欄経由で送ってください。一番いいと思った質問にビデオメッセージでお答えします。皆さんからの投稿を楽しみにしています!」

そして2月8日にそのQ&A動画をアップ。

Hallo liebe Facebook-Freunde, in nachfolgendem Video beantworte ich einige eurer Fragen, die ihr beim letztwöchigen Q&A...

Posted by Tranquillo Barnetta on 2015年2月8日
「フェイスブックをご覧の皆さんこんにちは。先週送ってくれた質問に動画でお答えします。おまけのQ&Aも少しあります。皆さんのおかげで完成したインタビュー、お楽しみください。ご協力ありがとうございました!」

Q:紫色のブレスレットには何か意味があるの?

A:あのブレスはブラジルの思い出の一つで、チームメイト4、5人とだったかな、一緒に買ってみんなで着けることにしたんです。ラッキーチャームのようなものだけど、僕は縁起を担ぐタイプじゃないし、ブレスが切れてももう何も意味はないと思います。


Q:少年時代に憧れた選手は?

A:ずっと憧れてたのはジネディーヌ・ジダンです。何年もの長い間トップレベルでプレーしてきて、ずっと高いパフォーマンスを見せてきたことがとにかくすごいなと。個人的にはすっごく特別な思い出があって、2005年だったと思うんですけど、スイス対フランスの試合に出たんですね。そこで憧れだった彼の前でプレーさせてもらえて、しかも彼とユニフォーム交換までできました。今そのユニは家の特別な場所に置いてあります。本当に特別な思い出です。


Q:ずっとプロサッカー選手になることが夢だった?

A:子どもの頃は観客が6万人いるスタジアムに入って行く自分を夢見たりするものだけど、僕はプロの選手になろうと思ってサッカーをしていたわけじゃなくて、とにかく楽しいからやっていただけでした。練習もいつもすごく楽しかったし、それは今も同じで、だから楽しいと思うかぎりプレーを続けると思います。それにはもちろん体が資本ですけど。でもまず楽しいという気持ちがあってこそじゃないでしょうか。


Q:プロサッカー選手は現役を終えたらどうするの?

A:自分が引退後に何をするのか、今のところはまだよくわかりません。いくつか可能性があると思うけど、兄貴や親父のところで何か全然違うことをするかもしれないし、ちょっと流れに任せてみるかなと(※訳者注:トランキーロの父トランキーロは病院などの大きな調理場専門のコンサルタント会社と息子のマネージメント会社を経営しており、兄アレッサンドロは父の会社を手伝う傍らユニフォーム等のグッズを扱うオンラインショップを経営している)。でもやりたいことは必ずしもサッカーとは思ってなくて、少なくともプロサッカー関係、トップレベルの監督とかスポーツディレクターとかはないかな。トップレベルのサッカーからはとりあえず距離を置いてみると思うけど、それ以上のことはまだあまり考えられないです。


Q:公式戦の前の日はどう過ごしてる?

A:試合の前日はだいたい16時に練習があるんですけど、それまでにできることってそんなにはないんです。夜はホテルの部屋で、特別何かするわけでもなくて、テレビ見たり本を読んだりしてますね。僕はローマン・ノイシュテッターと同部屋なので、一緒にいることが多いです。


Q:ファン絡みで最も変なエピソードは?

A:ファンとのふれあいで一番おかしかったのは、とあるファンが家のドアの前に立っていたことですね。その人に悪気はなかったんだけど、僕は自分の住んでるところは知られてないと思ってたから、初めは正直ちょっと気味が悪かったです。その人とは少し話をしてお互いわかり合って、それで再発することもなかったので、今となっては大したことではないです。


Q:サッカーをすることになったきっかけは?

A:僕も例にもれずサッカー一家の生まれで、親父も兄貴もやってました。歩き始めてすぐにサッカーを始めたようなものなので、ずっとこのスポーツをしているのは当たり前な感じです。


Q:これまでにファンからもらった最高のプレゼントは?

A:一番うれしかったのは手作りのオートグラフカードです。オートグラフカードを送った男の子から2週間後に手描きのオートグラフカードが届いたんです。あれはすごくうれしかったです。


Q:ホテルで同部屋のチームメイトは誰?

A:アウェーの試合のときはいつもローマン・ノイシュテッターと同部屋です。知り合ってもう3年になるけど、最初からルームメイトは彼だったんですね。もちろんお互いの癖も知ってるけどすごく仲がいいし、チャンピオンズリーグだったりイングリッシュ・ウィーク(※訳者注:週末プラスミッドウィークにも試合がある期間)でホテルにいる時間も多いから、気心の知れたいっぱい笑える仲間がルームメイトなのはいいことだと思います。


Q:お兄さんから見た「人としての自分」と「サッカー選手としての自分」は?

A:他人をどう評価するかというのは兄貴にとっても難しいことだろうけど……スポーツの面ではたぶん「向上心がある」とか「目標に向かってひたむき」だと言うんじゃないでしょうか。人としては「返しがうまい」とかかもしれないです。


Q:今やブームになりつつある口ひげを生やすようになったきっかけは?

A:口ひげは毎年11月に伸ばしてるんですけど、これはMovemberキャンペーンのためなんですね。僕は3、4年前から参加してて、チームでも何人か巻き込むのに成功してます。ちょっとした流行りになったのはうれしいです。


Q:Tranquilloという名前の由来と意味は?

A:ファーストネームのTranquilloはイタリア語で「静かな」という意味です。どうして両親がその名前を付けたのかはよくわからないけど、うちは親父も祖父も名前がトランキーロだから、その関係だと思います。


Q:一番好きな背番号は?

A:一番好きな背番号は7番です。この番号で代表戦にたくさん出ていますし。ザンクト・ガレンでサッカーを始めた時の番号は17で、今は27なので、いつも7が付いた番号でやっていることになります。



※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい


2015/01/08

ARD SPORTSCHAUのトーマス・クロートインタビュー

トーマス・クロート インタビュー
選手エージェント - 「日本人はブンデスリーガに合っている」
http://www.sportschau.de/fussball/international/interview-thomas-kroth-asien-cup100.html


アジアカップに出場する日本代表メンバーにはブンデスリーガの選手が6人いる。極東出身選手のエキスパートといえばトーマス・クロートだ。なぜ日本人がこれほどブンデスリーガに合うのか。元プロ選手の彼が語る。

選手の代理人を務めるクロートさんは、ドイツサッカー界ではまさにアジアのエキスパートで通っています。金曜日(2015年1月9日)にアジア最高峰のナショナルサッカーチームによる選手権大会、アジアカップがオーストラリアで始まりますが、優勝候補はどこだと思いますか

トーマス・クロート:日本とオーストラリアですね。日本は現在アジア最高のチームだと言われています。2005年からアジアサッカー連盟に加盟しているオーストラリアは、開催国であることがプラスに働くでしょう。

クロートさんはアジアのスペシャリスト。これまでに香川や長谷部、乾や内田といった選手をブンデスリーガに連れてきました。アジアカップは現地で?

クロート:いえ、日本代表にいる選手についてはもう生で見る必要はありません。彼らのことは知っているので。それよりもずっと興味があるのは、日本のクラブの試合だったりユース代表の国際試合です。ほぼ6週間ごとに日本へ行っていますが、そのときはいつも試合も観るようにしています。まだそれほど知られていない才能を見つけ出せますから。

2010年にボルシア・ドルトムントに斡旋した香川真司が大当たり。センセーショナルな移籍を成功させました。これがアジア市場へのチケットになったのでしょうか

クロート:日本との関係が始まったのはもっとずっと前です。初めて日本に関わったのは、1978年から1981年に1.FCケルンで一緒にプレーしていた奥寺康彦がきっかけでした。1993年に奥寺はピエール・リトバルスキーに日本のジェフユナイテッド市原・千葉を勧めていました。奥寺自身は当時、日本の1部リーグのクラブでゼネラルマネージャーをしていて。それで私が直接日本にコンタクトを取ったのです。リトバルスキーの引退試合では私も現地にいましたよ。次の展開が始まったのはそこからです。ミヒャエル・ルンメニゲやラインハルト・シュトゥンプ、ネディエリコ・ゼリッチといった選手を日本に移籍させました。そして2003年にハンブルガーSVで契約にサインした高原直泰。私の勧めで日本からブンデスリーガに来た最初の選手です。これが私にとっては扉を開く鍵のようなものになりました。

写真キャプション:彼からすべてが始まった――高原直泰

当時すでに選手代理人として約10年のキャリアを積んでいました。アジア市場において変えなければいけない点はありましたか。仕事のやり方に違いは

クロート:そうですね、まず日本ではブンデスリーガがあまり知られていませんでした。有名なのはイングランドのプレミアリーグで、その次がスペイン、イタリア。選手と話をする際には、まずDVDでブンデスリーガの試合を見てもらわなければいけませんでした。そうして年が経つにつれて、日本人のメンタリティというもの、それは交渉においてもそうなんですが、その価値に気付きました。我々のところと比べて何でも少し時間はかかるのですが、極めて確実にあらゆる事が運ぶ。日本人は徹底しているし信頼できるのです。

あちらではどのように選手エージェントとして名を得ることができたのでしょう。選手やクラブの幹部、ディレクターとのコネクションはどう構築したのですか

クロート:現地のサポートもありましたが、自ら出張することも多かったです。多方面にコネクションを作り、そこから長年にわたる密なネットワークが生まれました。ディレクターやクラブの幹部だけでなく、広告代理店やメディアともタッグを組んで。例えば、有料テレビ放送局のWOWOWにはエキスパートとしてよく参加していましたし、様々なサッカー雑誌にコラムを書いたりもしました。

現在あなたのアジアビジネスに関わっているスタッフの数は

クロート:日本にはダイゾー・ミカドという一番大事な腹心のパートナーがいます。それ以外に半ダースぐらいの人数からなるネットワークがあり、緊密かつ全幅の信頼を置いて仕事をしています。

ドイツブンデスリーガ1部と2部に斡旋してきた日本人の数は1ダースを超えます。全ての日本人有望サッカー選手にとって、ドイツは憧れの舞台になったのでしょうか

クロート:それは現在もこれからもイングランドです。しかし日本人選手がブンデスリーガでうまくやっている状況はもちろん注目を集めています。高原が2003年に来たときは、一人ぼっちも同然で大変だったと思います。今では選手の数も増え、選手同士で連絡を取り合い、情報交換し、顔を合わせています。それに我々がクラブと協力して、しっかり面倒をみています。生活のあらゆるシチュエーションでサポートしているので、選手たちはここでうまくいくのです。そういう評判ももちろん業界に広まっています。

日本人選手にとってドイツサッカーは特に相性がいいということもあるのでは

クロート:ええ、そうです。敏捷性、スピード、そして技術的な面で非常によく育成されています。日本のプロリーグ、Jリーグが1993年に始まって以来、日本のサッカー育成は大きく動きました。プロチームはユースのサッカースクールを創設しており、高校と大学では徹底的に鍛え上げられる。パスプレーに戦術理解――全てがすでに非常に高いレベルにあります。それに加えて、日本人はドイツ人にメンタリティという点で似ていると私は思います。非常に信頼できる。それがここに合っているのです。


インタビュー: Olaf Jansen



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