2014/09/11

Recklinghäuser Zeitungのヴェトクロインタビュー

ゴールキーパー クリスティアン・ヴェトクロインタビュー
「信じられないような瞬間」
http://www.recklinghaeuser-zeitung.de/sport/schalke/Interview-mit-Torhueter-Christian-Wetklo-Ein-unfassbarer-Moment;art1278,1385187


ゲルゼンキルヒェン ゴールキーパーのクリスティアン・ヴェトクロがついに意中のクラブ、FCシャルケ04のプロ選手になって4週間弱。インタビューで34歳の彼は気持ちよく率直に感情をさらけ出した。
Frank Leszinski

写真キャプション:このクリスティアン・ヴェトクロはまだ前職場FSVマインツ05のユニフォームを着ている。

ゴールキーパー仲間のラルフ・フェアマンによると、あなたはシャルケの布団カバーで寝ていて、シャルケでプレーするためなら馬に乗ってでも来たのではないかということですが。彼の主張は正しいのでしょうか
反論できません(笑)。でもゲルゼンキルヒェン=ハッセル育ちで、家族全員がシャルケファンだったら、それも不思議じゃないでしょう。

そして14年間マインツ05でプレーを
素晴らしい時間でした、無条件に。でもシャルケでプロ契約することにいつも憧れていました。シャルケのホルガー・ゲールケゴールキーパーコーチから初めて電話があったのは、僕にとってはまさに信じられないような瞬間で。プロ選手としてのキャリアはダルムシュタット98との契約解消で終わったのだと自分を納得させていましたから。

どうしてダルムシュタットではうまくいかなかったのですか
一身上の都合です。ダルムシュタットでの仕事は違うものを想像していました。でも噂されていたようないざこざがあったわけではなく、双方の合意で袂を分かつことになりました。

その後オファーは全く来なかったのですか
いえ、海外からはありました。でも家庭の理由でそれは受けたくなくて。だから他の進路に、つまり長期的に指導者として働こうと。B級ライセンスは取得しました。

ところが電話がかかってきた……
それまでにも何度か夢に出てきたんです。びっくりして飛び起きて、なんだシャルケでプレーしているのは夢だったのか、と思ったり。マインツからゲルゼンキルヒェンへ300km車を走らせて、ゲルゼンキルヒェン=ブア出口に来た時に何度思ったことか。なんでお前はこんなに遠く離れたところでサッカーをしているんだ、シャルケは玄関を開けたらすぐなのに、と……。

最初の電話があって、それからどうなったのですか
イェンス・ケラー監督との面談がありました、僕のことを知りたいということで。その後の週末というのはまああまり楽なものじゃありませんでしたよ。がくがく震えてほとんど眠れなくて。そしてとうとうホルスト・ヘルトスポーツディレクターから電話がかかってきて、「ようこそシャルケへ」と。これで僕の夢はかなったんです。シャルケが僕を欲しがっているということを知っていたのは、その時までは妻のナターシャだけでした。ヘルト氏から電話があって初めて家族と友人たちに打ち明けました。

周りの人たちは感激したでしょうね
それはもう。考えてもみて下さい、長男のロマーノに、僕がプレーしているのはマインツであってシャルケではないと、長年説明するのがどれだけつらいことだったか。でも今はみんなが幸せですし、息子たちはいつ試合の後にアレーナの芝に立ってもいいのか聞いてきましたよ。マインツでは何度かやっていましたから。先のことなのでここではそこまで簡単にはいかないでしょうけど。

シャルケの施設で昔と変わっていないところはありましたか
僕がシャルケのAユースからロートヴァイス・エッセンに行った当時、ここはまだ全然違う姿をしていました。僕らが練習をしていたのは、パルクシュタディオンやシンダー舗装のグラウンドやグリュックアウフ=カンプフバーン(※訳者注:パルクシュタディオン以前のシャルケのホームスタジアム)で。メディコス(※訳者注:シャルケと提携しているリハビリ施設medicos.AufSchalkeのこと)では2008年に背中(腰)を痛めた時にリハビリをしました。だからもともと知っている部分もあるんですが、新しく見るものの方が多いです。ここにはすごいものがいろいろできていますから。

あなたの契約にはシャルケの公式戦で出場機会を与えられるという条項があるのですか
ないですよ。(笑いながら)ここにいて毎日を楽しんでいることがとても幸せです。そりゃもしいつか出場機会が来たら僕にとって最高のクライマックスになるでしょうが、それは考えていません。ラルフ・フェアマンが僕らのナンバー1。素晴らしいゴールキーパーです。彼が健康でいること、キャリアで次のステップに進むことを願っています。

しかしファビアン・ギーファーが戻ってきたら、あなたは再び二軍へと移動することになります。もしくはナンバー2の座を巡る一騎打ちが
いいえ。役割ははっきり取り決められています。それは変わりません。レギオナルリーガチーム(※訳者注:シャルケU23のこと)の力になるまでです。

バイエルン戦でベンチにいるあなたの熱狂ぶりは目を引きました
第4審判に、今回はビビアナ・シュタインハウスさんでしたが、何回か注意されましたね。僕にとっては全く新しいシチュエーションだったんです、フェルティンス=アレーナのシャルケのベンチで90分を過ごすというのは。どれだけ興奮したのか、みなさんには想像できないでしょう。それは僕が選手というだけではなくて、FCシャルケ04のファンでもあるからだと思います。

そしてひょっとするとこの後はケーニヒスブラオ(※訳者注:シャルケのこと)の監督にも
育成部門でそれは一つの選択肢になるかもしれません。ノーベルト・エルゲルトAユース監督のところで勉強するという話をすでに本人としています。僕のシャルケAユース時代も彼が監督でしたから。どう練習指導が発達してきたのか見るのはおもしろいはず。来年にはA級ライセンスを取るつもりです。でも今まず自分にとって大事なのは、シャルケにしっかり集中することですね。


※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい