2012/10/17

Stadtspiegel Gelsenkirchenのコラジナクインタビュー

地域ミニコミ紙Stadtspiegelのホームページlokalkompass.de掲載記事(2012年10月17日付)
記者:Raphael Wiesweg (Stadtspiegel Gelsenkirchen)

シャルケ04ゼアド・コラジナクインタビュー
http://www.lokalkompass.de/gelsenkirchen/sport/interview-mit-sead-kolasinac-vom-s04-d221606.html


いよいよあと3日で、BVBとシャルケ04による究極のダービーがズィグナル・イドゥナ・パークにて行われる。すべてのシャルカーは宿命のライバル相手に再び勝利することを2年半以上も待ち望んできた。ダービーの戦い方をよく知る一人がゼアド・コラジナクだ。Aユース(※訳者注:クラブチームのU19のこと)のドイツチャンピオンで、今シーズンからプロ契約を結んでいる。

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FCシャルケ04のゼアド・コラジナク(左)にインタビューするStadtspiegelのRaphael Wiesweg。ボスニアにルーツを持つ19歳のU20ドイツ代表は、この数ヶ月で急激なステップアップを経験した


前半戦は3‐0、"他の街" でのアウェー戦にいたっては5‐0。コラジナクはドルトムントの打ち負かし方を知っている。昨シーズン、Aユースチームでそれを証明したのは記憶に新しい。記憶に新しいといえば、躍進を続けたここ数ヶ月もそうだ。

Stadtspiegel:コラジナクさん、あなたはカールスルーエで生まれ、そこで育ちました。しかしお名前はドイツ系ではないような……
Sead Kolasinac:そうなんです。両親がボスニア出身で。僕は生まれも育ちもドイツですが。

そしてカールスルーエSCでコラジナク少年のサッカー人生が始まったと
はい。カールスルーエに8年、ホッフェンハイムとシュトゥットガルトを経て2011年にシャルケに来ました。

カールスルーエを離れるまでにそこまで長い年月がかかったのと、ホッフェンハイムとシュトゥットガルトでの滞在が短期間だったのはなぜですか
一般的なブンデスリーガのクラブにあるような成長のチャンスというのは、カールスルーエにはもちろんありません。ホッフェンハイムではどういうわけかあまりうまくいかなくて、それでシュトゥットガルトに移りました。シュトゥットガルトはすべてが良かったのですが、シャルケからの打診があったらあれこれ考えるまでもないでしょう。

シャルケに来てからはAユースでプレーすることになりました。それが2011年の話で、今はもうそのシャルケでプロ契約。19歳にとってはめまぐるしい展開です
Aユースでプレーしたのは2年間でしたが、早く責任ある立場を引き受けようと思ってやっていました。それで2年目にはキャプテンになり、最後にはマイスターシャーレも掲げることができたんです。

そしてまずは2015年までのプロ契約を結びました。Aユースとプロの最大の違いは
ファンですね。Aユース選手権の準決勝と決勝以外では、数人のファンの前で試合をしていましたから。それが突然6万人を超える観客の前でできることになって。すごいことですよこれは。でもそれ以外は、少なくとも僕にとってはそこまでの大きな違いはなかったです。AユースのNorbert Elgert監督のところでも、すばらしいプロフェッショナルな練習をさせてもらっていたので。

来る土曜日のダービーも特別なのではないでしょうか
ファンにとってはもちろんすごく大事。それは僕らもわかっているし、モチベーションも上がります。それ以外ではいつものリーグ戦の試合前と変わらず、集中して準備をしています。結局のところ、他の試合と同じく勝ち点3を取ることが重要ですし。

ではチーム内でまだそこまで大きなテーマにはなっていないと
ええ。一試合一試合を考えていますし、代表戦に行っていた選手が多かったので。だからこれまでダービーの話をするのはちょっと難しかった。でも、僕らは勝つつもりでいる、それははっきりしています。

土曜日に向けて個人的な目標は
またメンバー入りできたらうれしいです。

ずいぶん控えめですね
いい選手がたくさんいますし、そこでベスト18選手の中に入るだけでも僕にとっては一つの成功ですよ。

しかしひとたびメンバー入りすればほぼあらゆるポジションで出られると。非常にフレキシブルな起用ができる選手だといわれていますが、一番好きなポジションというのはあるのですか
センターバックでプレーするのが一番好きです。でも左サイドバックやボランチもできます。

1歳しか年の離れていないチームメイトのパパドプロスに、プレースタイル、そして少しルックスという点でも似ていますよね。なかなかおもしろいセンターバックのコンビになるのではないかと
ジャーメイン・ジョーンズが僕の憧れでありアドバイザーでもあります。特にピッチでの指示や大声を出して振る舞う姿には見習うところがあります。でも『パパ』の歩んでいる道にももちろん感銘を受けています。彼はシャルケに移籍したことでしっかりステップアップしていますし、僕のキャリアもそういうふうになるなら大歓迎です。

契約は2015年までです。5年後の自分については
そういうことは全く考えていません。でも5年後も変わらずシャルケにいてプレーしていたらいいなと思います。


ゼアド・コラジナク:
・1993年6月20日カールスルーエ生まれ。独身、子どもなし
・2001年から2009年までカールスルーエSCでプレー
・その後ホッフェンハイムとシュトゥットガルトに1年ずつ在籍。2011年シャルケ04に
・2012年6月17日にシャルケAユースのキャプテンとしてドイツチャンピオンに




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2012/10/14

Medienhaus Bauer提供のノイシュテッターインタビュー

地方紙Ruhr NachrichtenホームページRuhrNachrichten.de等に掲載されているMedienhaus Bauer提供記事(2012年10月14日付)

インタビュー
ノイシュテッター:「長く才能に頼りすぎた」
http://www.ruhrnachrichten.de/sport/schalke/news/art15837,1794491


ゲルゼンキルヒェン。来た、見た、FCシャルケ04ですぐさま不動の存在になった:ローマン・ノイシュテッターはFCシャルケ04の守備的ミッドフィールダーにもはやなくてはならない選手である。どうやってこの24歳の新加入選手はこれほど早くケーニヒスブラオ(※訳者注:シャルケのこと)に馴染むことができたのか。Medienhaus Bauerのインタビューで本人が明かした。
Frank Leszinski

(写真キャプション)
沸き上がる喜び:シャルケ04でのリーグ戦初ゴールを決め、ベネディクト・ヘヴェデスの祝福を受けるローマン・ノイシュテッター(右)。写真:Torsten Janfeld


おめでとうござい……
何がですか?

あなたは今シーズンの公式戦の出場時間をまだ1分も逃していない唯一のシャルケプレーヤーなんですよ
(笑)それはうれしいですね。そこまで意識していなかったので。こんなにうまくいくとは考えられませんでした。体を壊さず、この調子で引き続きやっていけたら。

メンヒェングラートバッハからシャルケへの移籍はかなり早くに、2011/2012シーズンのウィンターブレイクにはすでに決めていましたね。なぜですか
ボルシアのルシアン・ファブレ監督との関係は昔も今もすごくいいです。たくさん話し合いましたし、正直でいてくれと監督にはいつも言われていて。その助言に従いました。余計なプレッシャーは望むところではなかったし、それで自分の決断を早めに公表したのです。

グラートバッハファンの反応は
初めはかなり難しい状況になりましたね。でもリーグ後半戦でチームがすごくいいスタートを切ったことで、ファンの失望もすぐに吹き飛びました。

ファブレ監督は、あなたの退団をダンテとロイスのそれと並んで大変残念がっていました。このトリオは替えが利かないのだと。グラートバッハの成長を考えるとその通りだったのでは……
はい、すごく息の合ったチームだったし怪我人もいなくて。これがすごくポジティブに出ました。グラートバッハの行方は引き続きしっかり見守っていきますよ。ホームのフランクフルト戦はスタジアムで見たのですが、勝ったのですごくうれしかったです。早くチームが昨シーズン終えたところから再スタートを切れるといいなと思います。

シャルケへの移籍の決め手になったものとは
シャルケは大きなクラブで、ここ数年は国際大会の場でもいい役割を果たせることを証明しています。僕は自分のキャリアで次のステップを踏み出したかった。マインツに3年、グラートバッハに3年、そして今シャルケにというわけです。

移籍してから目覚ましい活躍を見せていますね。ここでのあなたのプレースタイルといえば、非常に多い運動量。余計な負荷がかかるのにそれをフルシーズンやり通せますか
僕らは開幕前の準備期間に、全3大会…リーグ戦、DFBポカール、チャンピオンズリーグに向けたコンディション作りをしっかりやってきました。僕にとって最後に大事になってくるのは、試合のない日に体をしっかり回復させること。それには十分な睡眠ときちんとした食事が必要です。

中盤のボランチとしてプレーするのが一番好きなのですか
はい、そう言えますね。僕の好きなポジションです。

今までずっとこのポジションでプレーしてきたのですか
そこだけではないです。マインツ05のユースとその後のセカンドチームでは、セントラルミッドフィールダーで攻撃的にもやっていました。

目を引くのが、あなたのポジショニングの上手さです。スライディングタックルをよくやるタイプのプレーヤーではありませんよね。そういうのは習って身につくものなのでしょうか
僕はゲームを読むようにしています。自分たちが前へと攻撃している時も、相手チームにとってボールロストの際にどこにスペースが生まれそうなのか、つまりどこを埋めなければいけないのかを常に見ています。この能力は経験によって培われるものです。それと他の試合を観る時もいろいろ学び取ろうと心掛けています。

それでもサッカー面での成長が本格的に加速したのは昨シーズンになってからですよね。その理由は
初めて家を出て、きちんと自立したのがグラートバッハでした。マインツでは試合にもそれほどたくさん出られていなくて、それでさあメンヒェングラートバッハではすぐレギュラーになってやるぞと思ったのかもしれません。それが僕の出発点でした。その後は自分の才能に頼る時期が長すぎたのですが、それではブンデスリーガでやっていけません。できることをしていなかったんです。グラートバッハでの1年目が終わって2部にレンタルで行く道もあったかもしれませんが、僕はどうしても自分がブンデスリーガでやっていけることを証明したくて。

それから
ちょっとしたことが成功と失敗を決めることもあると学びました。

例えば
プロ選手らしく生活すべきだということ。つい侮られがちですけど。次の日が一部練習だけだとしても、毎晩遊びの予定を入れるのは良くないかと。

お父様はマインツ05の元ブンデスリーガ選手としてどんなアドバイスをされたのですか
父親がアドバイスをするというのも、なかなか難しいですよね。今ちょうど弟がそうなんですけど。父が手を貸そうとすると、いつも機嫌が悪くなるんです。若いうちは好きにやりたいもの。でも外部からの手助けがなければうまくいかない。そのことが僕にはわかりました。

グラートバッハとシャルケ、最も大きな違いはどこにありますか
シャルケでは全てが一回り大きいです。チーム内の競争、ファン文化や期待値もそうです。でもサッカーそのものは変わりません。

メディアの役割は
(笑)僕の需要はここではまだそこまで多くはないです。でもそれともうまく付き合っていけますよ。僕はどちらかといえば平穏を好むタイプ。大事なのは、自分を歪められないようにすること、ありのままでいることです。

ご自身について書かれているものは全部読んでいますか
いえ。家に籠もって他人の採点を見ることはありません。自分のパフォーマンスは自分でちゃんと評価できます。

あと1週間弱でBVBのところでダービーが行われます。この試合が持つ価値はご存知ですか
ドイツ最大のダービーです。ヴォルフスブルクとの試合でも、ファンの心はすでにダービーに向けて準備をしていました。ドルトムントを絶対に打ち負かせとたくさんのサポーターから言われました。この地域の緊張が日に日に高まっているのがわかりますよね。

現時点での状況からすると試合の展望はいかがですか
BVBはすばらしい一団ですが、こういう試合においてはどちらが優勢かは言えません。前にドルトムントが1位だったとか、シャルケが4位だったとかは全く関係ない。試合を決めるのは、ピッチ上での90分間の両チームの状態だけです。

あなたにとってこの初ダービーは、マインツで指導を受けたユルゲン・クロップ、そしてグラートバッハで一緒にプレーしたマルコ・ロイスとの再会の場でもあります。連絡はまだ取り合っているのですか
マルコ・ロイスとはほとんど毎日電話しています。いまだに付き合いは深いです。

ロイスと試合結果について賭けは
していますよ。詳しくは代表戦が終わってから決めようと。

代表というキーワードが出ましたが:ドイツ代表監督のヨアヒム・レーヴから連絡が来たことはありますか
いいえ。覚えておいてください、僕は今シャルケ04のことだけに集中しているんです。引き続き自分のパフォーマンスが出せるなら、もちろん代表の話が出てくるかもしれないと期待することになるでしょう。でも現時点で代表監督との接触はありません。

フーブ・ステーヴェンス監督とはうまくいっていますか
監督はチームの首脳です。デュッセルドルフ戦とモンペリエ戦の後はすごくいい分析をしていました。僕らはそれを理解し、ミスから学びました――ヴォルフスブルクとの試合がはっきり示したように。




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2012/07/21

Neue Westfälische紙のファンクラブ訪問記事




※訳者注

2012年7月8日にシャルケの選手やフロントスタッフらが全国のファンクラブを訪問。内田選手とビデオアナリストLars Kornetka氏が訪れたのはBlaubären Fölsen 1995。ここはノルトライン=ヴェストファーレン州の東の端、WillebadessenにあるFölsen(フェルゼン)で1995年に発足したファンクラブで、メンバーはBlaubär(ブラオベア:青い熊)と呼ばれる。フェルゼン自体は住民200人前後という小さな地域で、ブラオベアは周辺地域の住民がほとんど。ファンクラブホームページによると、今回のイベントには約140人のファンが集まったのだそう。





地方紙Neue Westfälischeホームページnw-news.de掲載記事(2012年7月21日付)

内田がブラオベアに
http://www.nw-news.de/sport/lokalsport/sport_warburg/lokalsport_warburg/6895752_Uchida_jetzt_ein_Blaubaer.html


サッカー:シャルケサッカーファンが内田篤人とビデオアナリストLars Kornetkaの訪問を歓迎した。

フェルゼン。 ブラオベアは今や極東にも:Schalke-Fan-Club Fölsen会長のMichael Thomは2人の新会員を迎えることができた。Nethedorf(※訳者注:フェルゼン一帯の地域の名称)訪問に際し名誉会員の称号を授けられたのは、キャップ数50の日本代表選手、他でもない内田篤人だ。シャルケのビデオアナリスト、Lars Kornetkaにもこの栄誉が与えられた。

(写真キャプション ※画像をクリック)
ブラオベアメンバーとスターゲスト。左からファンクラブ会長のMichael Thom、内田篤人、副会長のJonas Böckmann、Lars Kornetka、メディア担当のDirk David、会計担当のJosef Dickgreber(前方)。


満員となったFölsener Berghalle(※訳者注:会場ホール名)での午後は楽しく過ぎていった。48時間前に日本から飛んで来たばかりという内田篤人は、周辺の全地域からやって来た(Fan-Clubs Daseburg、Höxter/Warburg、Diemelからの参加者も)ケーニヒスブラオサポーターの前に上機嫌で姿を現した。

Dirk Davidが司会を務めるトークショーで、このサイドバックの彼はまず実生活やサッカー選手としての目標設定について詳しく語った。通訳のカヤヌマミドリを通した回答は何度もファンをにやりとさせた。四輪で速い日本人は何もF1レーサー小林可夢偉だけではなく、内田もまたアクセルペダルを踏むのが好きなのだという。フェアプレーをするディフェンダーの彼は、ブンデスリーガではまだ一度も出場停止に近付いたことすらないが、運転席では短いタイムアウトを与えられてしまったほどだ。

彼にとってこれまで対戦した選手で最も強かったのはフランク・リベリーとヴェスレイ・スナイデルで、シャルケでの右サイドのパートナーであるペルーのジェフェルソン・ファルファンがチームメイトでは最高の選手だという(内田:「だからジェフは僕より稼いでもいるんです。」)。

内田篤人は、大勢出席していたサッカー選手の卵たちに、どれだけ練習に夢中になっても学校のことは疎かにしないようにとアドバイスを送った。続くシュートゲーム(※訳者注:壁に開いた穴にボールを蹴り入れる。Torwandschießenで画像検索)では、内田は子どもたちにごく自然体で接した。彼がその後サインや写真攻めにあったのも当然だろう。

Lars Kornetkaは、シャルケコーチングスタッフの仕事の興味深い一面を紹介した。フーブ・ステーヴェンス率いるチームの練習にまで録画と分析が行われていることにフェルゼンのサッカーファンからは驚きの声も。また、相手がMSVデュイスブルクのようなチームであっても、インテル・ミラノやマンチェスター・ユナイテッドのようなトップクラブの時と同様に、試合前の段階で徹底的に調査するのだということも関心を呼んだ。




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