2014/11/03

WAZの内田篤人契約延長&アウグスブルク戦の記事

内田
シャルケの信頼に熱く応える内田

http://www.derwesten.de/sport/fussball/s04/uchida-rechtfertigt-das-schalker-vertrauen-mit-leidenschaft-id9999025.html


写真キャプション:FCアウグスブルク戦の勝利をシャルケのチームメイトと喜ぶ内田(中央)

ゲルゼンキルヒェン。 日本出身の右サイドバックは、サッカーブンデスリーガ1部・シャルケ04のチーム内で確固たる地位を築いている。水曜日のスポルティング・リスボン戦を前にした今も、彼の評価は揺るぎない。この26歳は、契約を延長した後のFCアウグスブルク戦で、シャルケのベストプレーヤーになった。

FCシャルケ04の練習場で、あるサッカー選手だけに熱い視線を送る若い日本人女性の姿が見られるのは珍しいことではない。ケーニヒスブラオ(※訳者注:シャルケのこと)の試合後には、インタビューエリアで日出ずる国の記者たちがその光の周りにひしめき合う――。内田篤人、シャルケの右サイドバック。自国では大変な人気を誇る大スターだ。

ここ数日間、彼はとりわけ注目の的となっている。この26歳は先週、自身の契約を2018年6月までさらに3年延長した。するとさっそく、FCアウグスブルク戦の1:0の場面で、クラブの信頼に熱く応える意思を示してみせた。2010年に鹿島アントラーズから青と白のクラブに来た『ウシー』は、そのピッチ上で大差をつけてのベストプレーヤーになった。

ヘルト:「一度シャルケに来た者はもう離れられなくなる」

水曜のチャンピオンズリーグ、スポルティング・リスボン戦を前に、多くの離脱者に頭を悩ませる監督のロベルト・ディ・マッテオは、またも11人のメンバーを編成しなければならない。しかし、右サイドバックには頼れる安定の主力――内田篤人がいる。7ヶ月の負傷休養を経てようやく9月に復帰し、すぐさま以前と変わらぬコンディションを見せつけた彼の評価は揺るぎない。「とてつもなく頼りになり、長期間にわたって変わらぬレベルでプレーしている」と称賛するスポーツディレクターのホルスト・ヘルト。契約のサインに内田はクラブスーツにネクタイ姿で来たという。「彼にすっかり食われてしまった」とヘルトは笑った。

この日本人にはACミランやバレンシアCFが触手を伸ばしていたが、本人が選んだのは信頼だった。ヘルトは再び笑って、「一度シャルケに来ると、もう他へ行きたいとは思わなくなるもの」。内田は国籍に相応しく丁重に答える。「シャルケはすばらしいファンのいる特別なクラブ」。

ルール地方に敬意を表する内田

シャルケの選手の多くが住むデュッセルドルフには、大きな日本人コミュニティも存在する。だが、内田はゲルゼンキルヒェンに住んでいる。サッカー雑誌『11 Freunde』の心温まる寄稿の中で、彼はルール地方に敬意を表している。炭坑内ツアーで「恐れを抱いたと同時に感動し」、"Glückauf" の意味も知っているという。「ここが好き」と断言する『ウシー』。ずっと前からシャルケファンの人気者になっているのも当然だ。

Peter Müller



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2014/11/02

kickerの内田篤人契約延長&アウグスブルク戦の記事

シャルケ:信頼に応える内田
ヘルトの他に内田の陰に隠れたのは
http://www.kicker.de/news/fussball/bundesliga/vereine/614612/artikel_uchida-stellt-nicht-nur-heldt-in-den-schatten.html


先週の木曜日にFCシャルケ04はディフェンダー内田篤人との契約を2018年まで延長。日本人の彼は土曜日(※訳者注:金曜日の間違い)にさっそく、シャルケの判断が正しかったことを証明した。アウグスブルク戦で1:0の決勝点となるゴールを生んだだけではなく、チーム全員を凌駕し、そのパフォーマンスで特別な賛辞を得た。

写真キャプション:シャルケの勝利に関与し、決定的な役割を果たした――内田篤人。

木曜日。事務所に入ってきた内田を見て、ホルスト・ヘルトはつい口をぽかんと開けた。契約のサインに訪れた日本人の彼は、高級生地に身を包んでいた。シャルケのクラブスーツ。それにネクタイ。ヘルトははっと気付いた。自分の方がフォーマル度の低い服装をセレクトしていた。青いシャツ、青いセーター。「すっかり篤人に食われてしまった」とヘルトは微笑み、胸を張った。「篤人にどんな自覚があるのかという表れだ」。

金曜の晩には、内田はチームメイトたちを霞ませてしまった。クラース=ヤン・フンテラールが絶品ゴールを決めて1-0に――それでも、ピッチで最も輝いた男の名は内田だった。右サイドバックの彼はその日の主役の座をかっさらった。自陣でエスヴァインのパスをインターセプトし、敵陣のゴールラインまで全力疾走、そしてクラース=ヤン・フンテラールにボールを出した、決勝点のあのすばらしいお膳立てがあったからというだけではない。守備においても極めて高い集中力で自分の仕事を遂行し、1対1に果敢に挑んだ。新しい契約――期間は2018年まで――が力になっているのだろう。スポーツ部門長であるヘルトも認めた。「篤人はずば抜けて良かった」。

他のプロ選手ならば、契約交渉が終わるとまずはほっと一息入れるところだが、自分の義務とはパフォーマンスで信頼に応えることだと内田は考えているようだ。全力を尽くして取り組んだアウグスブルク戦。スポーツ面での資質の他に、しかるべき職業意識を持ち合わせていることがここにも表れている。それゆえに、シャルケの人間はこの主力選手を巡る競争に勝てたことをうれしく思っている。海外からは、特にACミランやバレンシアCFが内田に注意深く触手を伸ばしていたとされる。「しかし一度シャルケに来てしまうと、」にやりとするヘルト。「もう他へ行きたいとは思わなくなるものだ」。

Jan Lustig



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2014/10/19

WAZのフクスインタビュー

フクス
シャルケの練習に行くのも大変だったクリスティアン・フクス
http://www.derwesten.de/sport/fussball/s04/christian-fuchs-quaelte-sich-zum-schalke-training-id9944826.html


写真キャプション:クリスティアン・フクスはサッカーへの意欲を取り戻した。写真:imago sportfotodienst

ゲルゼンキルヒェン。 土曜日のヘルタBSCベルリンとのホーム戦(18時30分)で、シャルケでのロベルト・ディ・マッテオ指揮下の時代がいよいよ始まる。「僕にとっては新たなスタート。自分を出していくつもり」とオーストリア人のクリスティアン・フクス。このインタビューでは監督交代の話題ではなく、シャルケにおける役割について迫る。

クリスティアン・フクスさん、今もなお自分がシャルケで試合に出ていると2か月前に思っていましたか

クリスティアン・フクス:メディアでは移籍話が実際よりはるかに大きく伝えられていましたが、そこまではっきり具体的な話はなくて。今は僕もそのことに興味はありません。ここにいて、再び試合に出ているから。記事の見出しはこれでどうですか――『死んだはずの人間、生き長らえる!』(笑)。

では、けが人が多数いるという理由だけで自分が出場できていることは気にしていないと

フクス:シャルケは補強としてデニス・アオゴという新しい選手を獲得したわけで、シーズン前の僕の立場はベストではありませんでした。正直、数週間前でも自分がこれほど試合に出ることになるとは予想していませんでした。でもひとつはっきりしているのは、青と白が自分のカラーである限り、僕はシャルケのために全力を尽くすということです。

昨シーズンは膝を痛めていましたね。試合には出たり出なかったりで。何がどうなっていたのですか

フクス:第3節のハノーファー戦で痛めてしまいました。治るだろうと思っていたのですが、そうはいきませんでした。状態が良くないのに、プレーするというミスをしたからです。ただでさえ離脱している人が多かったし、みんなの力になりたかったんです。僕はちょっとしたことでマッサージベッドに横になって愚痴を言うタイプではありませんし。結局あんなに先、3月まで手術を延ばしてしまったというのは、完全なミスジャッジでした。

現役生活の中でも最も厳しい時期だったのでは

フクス:間違いないですね。計8か月間、かろうじて乗り切ってきた状態だったので。達成感をちょっと味わうと、おっ、いけるじゃんと思うわけですよ。するとその2、3日後に再び痛い目を見て、すべておしまい。サッカーがあの時期はもう楽しめなくなっていました。ほとんど動けなくなっていて。練習前から考えていましたね――今度はどんな苦しみが?と。

今はすっかり痛みもなくなりましたか

フクス:(笑)そんな人がいるのか、プロサッカー選手に聞いてみてくださいよ。誰も見つからないですよ。でも今はまたサッカーに対する意欲がしっかり持てるようになっています。

あなたは最も辛口評価を受けてきた選手の一人です。攻撃では効果的な仕事をするが守備はめちゃくちゃだ、と嘆く声があることはご存じですか

フクス:ドイツに来て以来耳にしていますよ。それに対して冷静でいられるようになりましたし、その声を完全に静められるほど、自分のプレーを劇的に変えることはもうできないかなと思います。もちろん守備をもっと安定させようと自分でも心していますが。

シーズンが終われば契約は切れます。その後はシャルケに残るのか、それとも移籍になるのでしょうか

フクス:僕にとって大事なのは今現在だけ。試合にまた出られていることがうれしいです。学習したことがあるとすれば、予想は控えた方がいいということ。サッカーにおいてはすべてがすぐに変わっていくもの。だから先を見ても何もならないんです。


Heiko Buschmann



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2014/10/13

【番外編】Frankfurter Rundschauの長谷部誠インタビュー

長谷部誠
「本から自分のインスピレーションを得る」
http://www.fr-online.de/eintracht-frankfurt/makoto-hasebe--aus-buechern-ziehe-ich-meine-inspiration-,1473446,28719302.html


INGO DURSTEWITZ & THOMAS KILCHENSTEIN

写真キャプション:サッカー哲学者、インタビューにて。写真:Jan Huebner

アイントラハト・フランクフルトのミッドフィールダー長谷部誠が、ドイツでの平穏な暮らし、日本における熱狂、『心を整える』――そしてフリードリヒ・ニーチェの教えについて語る。

長谷部誠・30歳は、週末の休日をパリへの小旅行にあてた。少しばかりショッピングをして、友人と会い、和食レストランでおいしい食事を堪能する。「いいんじゃないでしょうか」。フランクフルトのミッドフィールダーは、その前にフランクフルター・ルントシャウのために時間を設け、自身について詳しく語ってくれた。ブンデスリーガで156試合に出場(5ゴール)している彼は、インタビューが進むにつれ、心を開いていった。Hase(※訳者注:ドイツ語でウサギの意)という愛称を持つこの聡明な日本人は、物事の背景を探るのが好きで、「既定のことだ」と甘受は決してしない男だった。

長谷部さん、資料をぱらっと見させてもらったのですが、そこで驚くべきネタを発見しました。あなたは本当はゴールの中でもプレーできるそうですね
ゴールで?どこからそんな話が?

そうですね、これは大げさな表現だったかもしれません。しかしブンデスリーガでゴールに立ったことはありますよね。フィールドプレーヤーでそう言える人はあまりいません
ああ、あのことですか。まだヴォルフスブルクにいた時の、ホッフェンハイムの試合だったと思います。キーパーに2枚目のイエローが出てしまったけど、交代枠はすでに使い切っていた、それで誰かフィールドプレーヤーがゴールに入らなければいけなくなって。

それで立候補したのですか
僕が?違いますよ。フェリックス・マガト監督がそう決めたんです。

なぜです?ユース時代にキーパーをしたことがあるのですか。練習でやっていたとか
いえ、全然。マルコ・ルスもその試合に出ていたのですが、彼がゴールに入る気でいて、マガト監督にも尋ねたんです。でも監督は僕に入れと。それだけです。どうしてなのかはわかりません。僕が入ってさらに1失点して、結局1‐3で終わりました。まあ、いい経験でした(笑)。

ずっと中盤でプレーしてきたのですか
そうですね、守備的ミッドフィールダーの守備型だったり攻撃型だったり。でもヴォルフスブルクではあらゆるポジションでプレーしました。右サイドバック、左サイドバック、右ウィング、左ウィング、プレーメーカー、ゴールキーパー……やらなかったのはセンターバックとセンターフォワードだけ。それ以外は全部やりました。

写真キャプション:もっとゴールを脅かす存在に――長谷部誠。写真:Stefan Krieger

これぞフェリックス・マガトですね。厳しかったでしょう
ええ、僕にとっては間違いなく一番きつかった時期ですね。メディシンボールのことは前から知っていましたが、サッカー繋がりで知ったわけではなくて。でもうまくいってドイツチャンピオンになりましたからね、僕らは。ジェコとグラフィッチが前線にいて、その二人で50ゴール以上決めて、その後ろにはミシモヴィッチがいて――それだけでもすごい。そういうチームでプレーさせてもらえたのは幸運でした。僕自身成長しましたし。フェリックス・マガトには感謝しなければいけません。僕を日本から獲得してくれた。彼にしてもらったことは決して忘れません。

どうしてもヨーロッパに来たかったのですか。浦和レッドダイヤモンズだってなかなかいいクラブですよね、日本のバイエルン・ミュンヘンと言われていて
ええ、在籍当時AFCチャンピオンズリーグで優勝しました。でも、ブンデスリーガに移籍するチャンスがあるなら掴むべき。僕が日本にいた当時の監督はギド・ブッフバルトとホルガー・オジェックでしたし、常にドイツ人がたくさんいたわけです。

ウーヴェ・バインも浦和に移籍しましたが、これはずっと前の話ですね。あなたがウーヴェ・バインについて耳にすることも最早ないでしょう
ウーヴェ・バインのことはもちろん知っています、面識はありませんが。彼が来た当時、僕は14歳でした。すばらしい選手で、足は左利きで、10番だった。知ってますよ当然。

高原直泰もフランクフルトからレッドダイヤモンズに行きましたね
そうです、彼は3部リーグで今もプレーしていて。35歳になりましたが、元気にやっていますよ。

4年前にドイツに来た時はいかがでしたか。ヴォルフスブルクは世界の中心地というわけでもありませんが
初めの2年は大変でした。全く新しい生活に新しい文化に新しい言葉。それにヴォルフスブルクは小さい街ですし、日本を懐かしく思い出せるものは何もなくて。和食レストランもないし、日本人もいない。完全にひとりぼっちでしたね。

でも家族や奥様がそばにいたでしょう
いえ、僕1人だけでした。独身だし誰もいなくて。大変だったけど、自分にとっては良かったとも言えます。

良かった?言葉を勉強する必要に迫られたからですか
それもあります。最初の3か月は通訳の方に付いてもらいましたが、3か月経つとその必要もなくなりましたし、その必要をなくそうとも思っていました。ひとりでうまくやっていく、ひとりでどうにかやっていきたかったんです。まあうまくいった方だと思います。

全て独力でやるというのは、あえて意識しての決断なのですか
プロになったのは12年前ですが、以来ずっと全て自分でやってきました。これからもそれは変えたくないです。

本質的なことにより集中できるということでしょうか
そういうことです。横道に逸れることなく、自分の時間の「流れ」と必ず行う「儀式」を持つ。僕はサッカー第一でやっています、プロですから。


http://www.fr-online.de/eintracht-frankfurt/makoto-hasebe--aus-buechern-ziehe-ich-meine-inspiration-,1473446,28719302,item,1.html

フランクフルトでは自由に行動できていますか。それとも道を歩いていて気付かれますか
いえ、こちらで気付かれることはないです。日本人以外にはという意味ですよ。街の散策や散歩にも出かけましたし、レストランにも行っています。ここには日本人がたくさんいて、ハウゼン地区に住んでいる人が多いです。日本人学校があるんだと思います。

ご自身の国では、道を歩けば大きな人だかりができてしまうのでしょうか
そうなるかもしれません、こちらとは違いますね。東京で食べに行く時は必ず個室があるレストランです。道を歩くのはなかなか難しい。無理ですね。1300万人が住んでいるのに(笑)。

そっとしておいてもらえるのと、気付かれて注目されるのとではどちらがいいですか
落ち着いた環境の方が好きですね。だから現役引退後ドイツに残る自分も想像できるんです。整然としているし落ち着いている。僕にはぴったりです。

フリードリヒ・ニーチェをドイツ語で読んだという話は本当ですか
ニーチェは読みましたが、ドイツ語でではないです。ドイツ語でだったらちょっと難しかったでしょうね(笑)。2010年の南アフリカワールドカップに本を3、4冊持って行ったのですが、その中にニーチェもありました。彼の教えと哲学が好きなんです。とてもいい本ですよ。頭に効きます。

あなたは知識人だとか、本をよく読む博識家であるとか、他のプロ選手とは何か違うと言われています。心を強くするための自分なりの方法があるのですか。瞑想?ヨガ?
ええ、例をひとつ挙げましょうか。寝る前に心を静めるんです。精神を集中し、深呼吸して、自分の後ろと前にあるものを考える。つまり、今日は何をして、何を経験したのか。明日は何をするべきなのか。そうやって心を静める。すると頭で心拍をコントロールできるようにもなります。

そうやって自分に向き合うのにはどれくらい時間をかけるのですか
ばらばらです。10分の時もあれば30分の時もあります。

それ以外の方法は
お湯に浸かります、毎晩。僕ら日本人はほとんどみんなそうしています。「シャワーをする」のではなく、「お風呂に入る」んです。それもしっかり熱いお湯、42、43℃のお湯に15、20、30分間と。心が休まって、筋肉もほぐれます。でも試合2日前からはお湯に浸かることはしません。

本もたくさんお読みになるとか
はい、いつも長時間。インターネットは好きじゃなくて、めったに見ません。もっぱら読書です。哲学的なものがほとんどです。本から自分のインスピレーションと力をもらっています。今読んでいるのは村上春樹(編集部注:最も有名で影響力のある日本人作家の一人。文学賞を多数受賞している)です。

ブックフェアにも行きましたか(※訳者注:フランクフルトの書籍見本市は世界的に有名)
いえ行ってません、人が多すぎて(笑)。

ご自身でも本をお書きになっていますね――„Die Ordnung der Seele – 56 Gewohnheiten, um den Sieg zu erringen.“(※訳者注:『心を整える。勝利をたぐり寄せるための56の習慣』の独訳)。これはどういった成り行きで
マネージャーが以前からよく問い合わせを受けていたのですが、僕はいつも断っていました。でもアジアカップで優勝した後、2011年に承諾しました。

何が書かれているのですか
ああ、要するに僕が何を考えているのか、つまりどう生活しているのかというだけの話です。処世訓とも言えるかもしれません。例えば常に前向きでいるとか、「整理整頓は人生の半分(※訳者注:ドイツのことわざ。直訳。良い人生には整理整頓が不可欠という意)」だとか。そういう内容の章も入っています。

えっ
僕はそう考えています。掃除はこまめにするし、いつもきちんと片付けています。僕にとって整理整頓は大事なこと。頭のためにはいいんですよ。

自らお書きになったのですか
ほとんどの部分はそうです、はい。もちろんそこから編集はしてもらいました。

本を書くのは引退後を考えてのことなのですか
いえ、もう書きません。これきりです。その本の中でかなり自分をオープンにしてしまっているからです。日本人全員が僕の考え方を知っているということになります。あれはすでにかなりプライベートに迫っている。もう一度やってみようとは思いません。

よく売れましたね
ええ、140万部売れました。

そしてそのお金は福島原発事故の被害者のために寄付しました
はい。本は1冊10ユーロ。それだけでかなりの金額が集まったことになります。そのお金で、例えば津波で流された福島近辺に幼稚園を造ってもらいました。これまでに3、4回訪問して、子どもたちとサッカーをしたりして遊びました。すごくうれしいことです。

ユニセフ大使にもなるそうですね
ええ、この冬に。そうしたらインドネシアとスマトラ島に行きます。過去に津波に襲われた地です。そこに行って大使としての役目を果たす予定です。

サッカー選手が大使になるのはよくあることではありませんね
僕は日本代表のキャプテンです、というかキャプテンでした。キャプテンというのは高い名声を得るし、社会にまで影響力がある。憧れとされます。ぜひ僕はそうありたい。僕には特権があり、プロサッカー選手で稼ぎはいいじゃないですか。すると何かの形で還元したくなる。自分にとっては当たり前のことです。

ちょっと引っかかることが――キャプテン「でした」と言いましたね。実際に免職されているのですか
わかりません。今回代表に招集されなかった。それ以上のことはわからないです。

そうなんですが、でもこの国でフィリップ・ラームだったり、バスティアン・シュバインシュタイガーだったり、マヌエル・ノイアーが何の理由もなく代表に招集されなかったとしたら――凄まじい叫び声が上がるでしょう。日本ではそうならないのですか
わかりません、僕は日本の新聞をインターネットでも読んでいませんし。だからわからないんです。こっちで僕に付いている日本の記者の方たちに聞いてみますか(笑)。

招集されなかったことには腹が立ちましたか。それともがっかりしたのですか
悲しかったです、もちろん。でも日本代表のことはこれで終わったものとは思いません。いいプレーをしていれば、きっとまた呼ばれるでしょう。

でも以前は代表戦に招集されていましたよね、膝の問題で早々にフランクフルトへ戻ることになりましたが。代表監督がそれで気を悪くしたのだとは思いませんか
わかりません。そのことについては何も言えません。

話は変わりますが、私どもには気になることがありまして。ピッチ上のあなたは常に控えめで愛想のいい典型的日本人選手、ではありませんよね。ピッチでは臆せず、よく審判と議論してクレームをつけています。これは日本人では全く見られないことで
自分のプレーに必要なんです。僕はどちらかといえばカッとなりやすい方で。僕のモチベーションです。

乾貴士の力にはなれましたか
彼は夏に新しいスタートを切りましたが、なかなかうまくいきました。今では理解できることも増えていますし、今またドイツ語の授業を受けていますからね。僕はできる範囲で手を貸します。もっとドイツ語を勉強しろと彼にはずっと言ってきたんですよ。僕の方も彼にすごく助けられています。フランクフルト案内、例えばどこにレストランがあるかとかを教えてもらって。

乾に試合中よくパスを出しているような気がするのですが
その通り。偶然じゃありません。

ここまでのチームの結果には満足していますか
はい、いい感じだと思います。勝ち点はもっと取れたはずですけど。

アイントラハトに来てすぐ、高い目標を口にしていましたね。チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグの出場権が得られる順位のことを
ええ、でもこれは僕の個人的な意見だということを強調したいです。監督やクラブがどう見ているのかはわかりません。できる限り多くを達成するには、高い目標を定めなければいけないというのが僕の考えです。

ご自身のパフォーマンスには満足していますか
まだまだもっといいプレーができるはずです。ボールを早く、大きなリスクを冒してでも前へ出すことにトライしていて。これは監督が僕に期待していることでもあるんですが。でも僕はもっとゴールを脅かせるはず。これもそのうちきっとできると思います。


Interview: Ingo Durstewitz & Thomas Kilchenstein



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2014/09/11

Recklinghäuser Zeitungのヴェトクロインタビュー

ゴールキーパー クリスティアン・ヴェトクロインタビュー
「信じられないような瞬間」
http://www.recklinghaeuser-zeitung.de/sport/schalke/Interview-mit-Torhueter-Christian-Wetklo-Ein-unfassbarer-Moment;art1278,1385187


ゲルゼンキルヒェン ゴールキーパーのクリスティアン・ヴェトクロがついに意中のクラブ、FCシャルケ04のプロ選手になって4週間弱。インタビューで34歳の彼は気持ちよく率直に感情をさらけ出した。
Frank Leszinski

写真キャプション:このクリスティアン・ヴェトクロはまだ前職場FSVマインツ05のユニフォームを着ている。

ゴールキーパー仲間のラルフ・フェアマンによると、あなたはシャルケの布団カバーで寝ていて、シャルケでプレーするためなら馬に乗ってでも来たのではないかということですが。彼の主張は正しいのでしょうか
反論できません(笑)。でもゲルゼンキルヒェン=ハッセル育ちで、家族全員がシャルケファンだったら、それも不思議じゃないでしょう。

そして14年間マインツ05でプレーを
素晴らしい時間でした、無条件に。でもシャルケでプロ契約することにいつも憧れていました。シャルケのホルガー・ゲールケゴールキーパーコーチから初めて電話があったのは、僕にとってはまさに信じられないような瞬間で。プロ選手としてのキャリアはダルムシュタット98との契約解消で終わったのだと自分を納得させていましたから。

どうしてダルムシュタットではうまくいかなかったのですか
一身上の都合です。ダルムシュタットでの仕事は違うものを想像していました。でも噂されていたようないざこざがあったわけではなく、双方の合意で袂を分かつことになりました。

その後オファーは全く来なかったのですか
いえ、海外からはありました。でも家庭の理由でそれは受けたくなくて。だから他の進路に、つまり長期的に指導者として働こうと。B級ライセンスは取得しました。

ところが電話がかかってきた……
それまでにも何度か夢に出てきたんです。びっくりして飛び起きて、なんだシャルケでプレーしているのは夢だったのか、と思ったり。マインツからゲルゼンキルヒェンへ300km車を走らせて、ゲルゼンキルヒェン=ブア出口に来た時に何度思ったことか。なんでお前はこんなに遠く離れたところでサッカーをしているんだ、シャルケは玄関を開けたらすぐなのに、と……。

最初の電話があって、それからどうなったのですか
イェンス・ケラー監督との面談がありました、僕のことを知りたいということで。その後の週末というのはまああまり楽なものじゃありませんでしたよ。がくがく震えてほとんど眠れなくて。そしてとうとうホルスト・ヘルトスポーツディレクターから電話がかかってきて、「ようこそシャルケへ」と。これで僕の夢はかなったんです。シャルケが僕を欲しがっているということを知っていたのは、その時までは妻のナターシャだけでした。ヘルト氏から電話があって初めて家族と友人たちに打ち明けました。

周りの人たちは感激したでしょうね
それはもう。考えてもみて下さい、長男のロマーノに、僕がプレーしているのはマインツであってシャルケではないと、長年説明するのがどれだけつらいことだったか。でも今はみんなが幸せですし、息子たちはいつ試合の後にアレーナの芝に立ってもいいのか聞いてきましたよ。マインツでは何度かやっていましたから。先のことなのでここではそこまで簡単にはいかないでしょうけど。

シャルケの施設で昔と変わっていないところはありましたか
僕がシャルケのAユースからロートヴァイス・エッセンに行った当時、ここはまだ全然違う姿をしていました。僕らが練習をしていたのは、パルクシュタディオンやシンダー舗装のグラウンドやグリュックアウフ=カンプフバーン(※訳者注:パルクシュタディオン以前のシャルケのホームスタジアム)で。メディコス(※訳者注:シャルケと提携しているリハビリ施設medicos.AufSchalkeのこと)では2008年に背中(腰)を痛めた時にリハビリをしました。だからもともと知っている部分もあるんですが、新しく見るものの方が多いです。ここにはすごいものがいろいろできていますから。

あなたの契約にはシャルケの公式戦で出場機会を与えられるという条項があるのですか
ないですよ。(笑いながら)ここにいて毎日を楽しんでいることがとても幸せです。そりゃもしいつか出場機会が来たら僕にとって最高のクライマックスになるでしょうが、それは考えていません。ラルフ・フェアマンが僕らのナンバー1。素晴らしいゴールキーパーです。彼が健康でいること、キャリアで次のステップに進むことを願っています。

しかしファビアン・ギーファーが戻ってきたら、あなたは再び二軍へと移動することになります。もしくはナンバー2の座を巡る一騎打ちが
いいえ。役割ははっきり取り決められています。それは変わりません。レギオナルリーガチーム(※訳者注:シャルケU23のこと)の力になるまでです。

バイエルン戦でベンチにいるあなたの熱狂ぶりは目を引きました
第4審判に、今回はビビアナ・シュタインハウスさんでしたが、何回か注意されましたね。僕にとっては全く新しいシチュエーションだったんです、フェルティンス=アレーナのシャルケのベンチで90分を過ごすというのは。どれだけ興奮したのか、みなさんには想像できないでしょう。それは僕が選手というだけではなくて、FCシャルケ04のファンでもあるからだと思います。

そしてひょっとするとこの後はケーニヒスブラオ(※訳者注:シャルケのこと)の監督にも
育成部門でそれは一つの選択肢になるかもしれません。ノーベルト・エルゲルトAユース監督のところで勉強するという話をすでに本人としています。僕のシャルケAユース時代も彼が監督でしたから。どう練習指導が発達してきたのか見るのはおもしろいはず。来年にはA級ライセンスを取るつもりです。でも今まず自分にとって大事なのは、シャルケにしっかり集中することですね。


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2014/08/23

Die Weltのヘーヴェデスインタビュー

ヘーヴェデス - 「ハゲているのはいい気分ではない」
http://www.welt.de/sport/fussball/bundesliga/fc-schalke-04/article131496939/Hoewedes-Ich-fuehle-mich-mit-Glatze-nicht-wohl.html


ベネディクト・ヘーヴェデスがW杯で最も感動的な瞬間を味わったのは決勝の舞台だった。インタビューではFCシャルケ04での目標、そして植毛後に得られた自信について語った。

Lars Gartenschläger

写真キャプション:ベネディクト・ヘーヴェデスはユース時代からFCシャルケでプレー。ゲルゼンキルヒェンのチームでこれまでリーグ戦166試合に出場、8ゴールを決めている
写真:pa/Sport Moments/Rehbein


彼の躍進はW杯最大のサプライズの一つだった。サッカードイツ代表チームがブラジルでタイトルを獲りに行くにあたって、あの活躍を計算に入れていた人はおそらくいなかっただろう。しかしベネディクト・ヘーヴェデスは、大会の最後にはマヌエル・ノイアーと同じく全試合にフル出場した唯一の選手としてピッチに立っていた。それも、センターバックの選手にとっては慣れないポジション――4バックの左で。FCシャルケ04所属の26歳は、常に満点で仕事を果たしたわけではなかったものの、最後には全批評家の言っていたことはでたらめだったと証明してみせた。ワールドチャンピオンは自信を持って新たなシーズンを迎える。

Die Welt:ヘーヴェデスさん、シャルケはDFBポカール1回戦でディナモ・ドレスデンに敗れました。良いスタートだとは言えないのでは

ベネディクト・ヘーヴェデス:ええ、3部リーグのチームに負けて大会を去るというのは、うまくいかなかったということ。でもリーグ戦では軌道修正していきます。僕らの目標はチャンピオンズリーグの出場権。順位争いは厳しいので、ハノーファーの開幕戦では変わったところを見せないといけません。

Die Welt:ドレスデン戦を欠場しましたね。キャプテンでありワールドチャンピオンでもあるあなたには期待がかかるのでは

ヘーヴェデス:W杯が終わって、高いモチベーションで新しいシーズンに向かっているし、チームの安定のために何でもするつもりです。でも総合的に問われるのはチーム全体であって、ピッチに立つ11人がうまく機能しないと。

Die Welt:ワールドチャンピオンの気分は

ヘーヴェデス:信じられないようなすばらしい気分です。おめでとう、すばらしい夏をありがとうと、この数週間たくさんの人に言われました。ブラジルでは本当に特別なことを成し遂げたんだなと。

Die Welt:W杯ではどの場面が特に記憶に残っていますか

ヘーヴェデス:決勝戦ですね。マリオ(・ゲッツェ:編集部より)のゴールは救いのようなものでした。彼が決めてすぐ涙があふれてきたぐらい、すごくうれしくて。あれでW杯のタイトルにぐっと近付いたわけです。一気にプレッシャーから解放されて、アドレナリンが大量に噴き出して――想像を絶する瞬間でした。一生忘れないと思います。

Die Welt:優勝後、多くの選手がキャンプ地カンポ・バイアで活力が生まれたと話していました。ご自身ではどうお感じになりましたか

ヘーヴェデス:あの宿舎は格別でした。様々なコテージに住んで、かつ各自スペースを持てたのが良かったと思います。各コテージにリビングルームがあって、それぞれ独自のものが備え付けられていました。ビリヤード台だったりプレイステーションだったり。そのおかげでお互い行き来がありました。でも、一番大きな役割を果たしていたのは食堂だったのではないかと。ほとんどの人とはそこで顔を合わせていました。一人で落ち着ける場があるというのも大きかったです。

Die Welt:ブンデスリーガの日常ではライバルの、ミュンヘン、ドルトムント、シャルケのメンバーが仲良くやっていたほど、雰囲気は良かったように見受けられましたが

ヘーヴェデス:そうですね。各自が自分の気分と好みを優先しないようにしていて。自分勝手な人はいなかった。みんな代表チームと共通の目標のことだけを考えていました。これが成功の決定的な鍵になったと思います。

Die Welt:ケヴィン・グロスクロイツとバスティアン・シュヴァインシュタイガーに友情が芽生えたのはその象徴でしょうか

ヘーヴェデス:そう言っていいんじゃないですか。うまく続いていくかはこれからの話ですけどね。でも、普段はライバルの二選手が急にあれだけ仲良くなるというのは、凄まじい説得力があると思います。彼らはそれを実現した。いいことだと思います。

Die Welt:タイトル獲得で周りの反応も変わりましたか

ヘーヴェデス:もちろん。すごく敬意を払ってもらっているように感じます。ドイツのタイトル獲得に自分も大きな貢献をしたんだなと。全試合に出て、それも慣れないポジションでプレーして。そこが認められたと感じています。自分への期待値もまた高くなっている。僕自身満足してしまってもいないし、今もハングリーです。

Die Welt:ご友人の反応はいかがですか。うやうやしくなったりとかは

ヘーヴェデス:それはないです。喜んでくれています。関係は何も変わっていません。共に過ごしてきたことが僕らを結び付けているので。W杯のタイトルで変わるものは何もないです。

Die Welt:あなたはマヌエル・ノイアーと同様に全試合フル出場でピッチに立ちました。一方で、最も批判にさらされた選手の一人でもありました

ヘーヴェデス:僕の境遇はチーム全体のそれと同じようなものでした。常に上がっては下がって。僕は代表監督の意見に意識を集中させるようにしていました。監督の意見が自分にとっては大きかったです。監督は僕のパフォーマンスに常に満足してくれていましたし。もちろん振り返れば100%の満足がいつもできるわけじゃない。でも、まったく慣れないポジションでのプレーだという点を考慮することもなく批判されるというのは、残念だなと思っていました。

Die Welt:フェリックス・マガトやアンドレアス・ブレーメのような批評家たちから謝罪の言葉などはありましたか

ヘーヴェデス:いえ。その必要もないです。言い分は人それぞれ。僕も根に持っていませんし。タイトルホルダーの自分にはその理由がちゃんとある。やってきたことはあまり間違っていなかったと思っています。間違いどころか正解がとても多かったんだと。

Die Welt:W杯に向けた準備期間のスタートは、あなたにとっては決して最高とは言えないものでした。その前までは長期負傷。そして南チロルの合宿ではコマーシャルイベントで事故が発生。休暇中の旅行者をはね、けがをさせた車に同乗していました

ヘーヴェデス:調子が出てくるまで時間はかかりましたが、常に一生懸命やって、代表監督に頼れると思ってもらえるようにしました。このW杯でプレーすることは、人生の大きな夢だったんです。そのために全力を尽くしました。それがヨアヒム・レーヴの目に留まった。僕を左でプレーさせるのは彼のプランでした。監督から初めてその話があったのはカメルーンとのテストマッチの前で。最終的にはそれがうまくはまりました。監督がこれほど大きな信頼を寄せてくれたことに感謝しています。

Die Welt:事故については

ヘーヴェデス:あれはとても不幸な結果になってしまった出来事でした。関係者、重傷を負った方を本当に気の毒に思います。同乗していた僕はあのとき何も阻止できなかった。事故後の応急処置はしましたが。事故のことはもちろん心に引っかかっていましたが、メディアで言われていたような、夜眠れないということはなかったです。心理士のところに何時間もいたということもありませんでした。そういうサポートは用意してもらいましたが、僕は自分で正面から向き合って消化しました。

Die Welt:このようなW杯優勝の後には欲が生まれるもの。ヘヴェデスさんの未来図はどうなっているのですか

ヘーヴェデス:僕に興味を持ってくれているクラブがいくつかあるようだというのは、言われている通りです。W杯で優勝すれば当たり前のことなのかもしれません。僕にはシャルケの居心地がとても良くて――それも13年前から。クラブにはすごく恩義を感じています。それでも、いつか海外に移籍する考えもあることは前から言ってきました。新しい経験を積んで、新しい文化や言葉に触れてみたいんです。いつが潮時なのかは言えません。でも人生の中で叶えたいと思っています。

Die Welt:この夏はいろいろな意味で注目を集めました。特に植毛に関しても

ヘーヴェデス:わりと短期間に髪がすごくたくさん抜けてしまったのが悩みでした。まだ26歳だし、自分はハゲがすごく似合うタイプではないと思うんです。人を見ていいなと思うことはあるけど、自分の場合は気分が良くなくて。気になっていたので植毛することにしました。手段が存在するならそういうことをするのに僕は大賛成だし、恥ずかしいことだとも思いません。それでまたいい気分で道を歩けるようになるなら、なおさらです。




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2014/07/20

WAZのケラー監督インタビュー

ケラーインタビュー

シャルケ監督イェンス・ケラー、将来について語る
http://www.derwesten.de/sport/fussball/s04/was-schalke-trainer-jens-keller-ueber-seine-zukunft-sagt-id9615026.html


 ゲルゼンキルヒェン。 トレーニングキャンプを前に、シャルケのイェンス・ケラー監督がゴルフにかける情熱、そして新シーズンの展望をロングインタビューで語った。今のところスターはこれ以上必要ないというその理由は。

いよいよ今日から始まる。シャルケ04は荷造りをして、キーム湖畔にあるゴルフリゾート・アーヘンタールにキャンプを張る。しかし、イェンス・ケラー監督がゴルフ場に現れることはなさそうだ――ハンディキャップ14.2と、ゴルファーとしてなかなかの腕を持つ彼だが。

ケラーさん、ゴルフはほんの一打で多くを得られ、はたまた全てを失う可能性もあるものです。あの瞬間に自分を支配するのは――失敗の恐怖でしょうか、それとも勝利の欲望でしょうか

イェンス・ケラー: ゴルフは私にとっては気分転換、リラックスするためのもので。恐怖だなんて……。ボールにうまく当たってほしいと思ってもいつもうまくいかない。ゴルフほど謙虚さを求められるスポーツはないですね。

ではサッカーの場合はどんな感情が

ケラー: そりゃもちろん勝ちたいという気持ちですよ。恐怖心があったら絶対ベストは出せません。

監督として初めてプレシーズンの指揮を執った昨年の夏に比べてシャルケはどうですか

ケラー: チームとして成長したし、若い選手たちを伸ばすことができた。怪我をしていた選手たちが戻っていくつかのポジションが修正された。このことからも前向きにシーズンに入っていけます。しかし、去年も開幕前は皆気分が高揚していたのに、前半戦は思っていたようにはなりませんでした。

当時は新顔も多かったですよね。マックス・マイヤーとレオン・ゴレツカが若き才能として、ペーター・ヘルマンが新しいコーチとして。これまで作り上げてきた上に今後は築いていけるのでは

ケラー: それが目標ではありますが、それには選手たちも吸収していかなければいけません。例えば昨シーズンのセアド・コラジナック。半年間とてもいいプレーをしていたのに、休暇を挟むとそれほど順調とはいかなくなりました。彼は若かったし、これでまた気がついたわけです、すでに自分の強みとなっていることにも何度も取り組んでいく必要があるのだと。同じ状況に今マックス・マイヤーとレオン・ゴレツカが直面しています。二人は特に後半戦が好調でしたが、そこに胡坐をかくのは禁物です。

しかしその若手の選手たちがポジション争いのさらなる激化をもたらしたのでは

ケラー: 確かにポジション争いは厳しくなりました。しかし忘れてはならないのは、開幕からの数試合にまた5選手が欠場する可能性もあるということです。ゴレツカとファルファンは怪我をしており、ヘヴェデス、ドラクスラー、フンテラールが休暇を終えて合流するのはかなり遅く、ほとんど準備ができません。

それでもなお贅沢な悩みを抱えていると言えるのではないでしょうか。ヘヴェデスは左サイドバックとしてワールドカップで大きな賛辞を得ました。しかしこのポジションにはコラジナック、アオゴ、そしてフクスと、より適性のある選手が3人も揃っており…

ケラー: これまで贅沢な悩みとはほとんど無縁だったので――こういう状況になればそんな話もできるんですね。

でもヘヴェデスはここでは左サイドバックでプレーすることはないと

ケラー: ええ、ワールドカップでは見事にこなしていましたが、彼はセンターでやる方が強いと思うので。左は他の選択肢もありますしね。

右は内田しか本職のディフェンダーがいません。なぜ代わりとなる選手を獲らなかったのですか

ケラー: それより若手に賭けたいからです、例えばユースでその位置でよくプレーしていたアイハンのような。ではどんな選手を探せばいいのでしょう。若い選手が必要?それならうちにいます。経験豊富なベテラン選手?それなら内田というすごくすごくいい選手がいるし、それより上の選手を獲ってくることは難しいでしょう。

新しい選手を獲得するとなると、その問題は全ポジションについて回るのでは。そもそも補強は必要なのでしょうか

ケラー: 退団する者がいればそれもあるかもしれませんが、今のところメンバー状況には満足しています。これ以上誰も出て行かなければ、動く必要はないとみています。プレシーズン終了まではあれこれ考える選手もいるでしょう。


シャルケ監督のケラーがボアテングに動じない理由
http://www.derwesten.de/sport/fussball/s04/warum-schalke-trainer-keller-bei-boateng-hart-bleibt-page2-id9615026.html


シドニー・サムでドイツ代表も1選手獲得したことになります。負傷中のファルファンの役割を引き受けられるのでしょうか

ケラー: それを示してくれるはずです。すごい能力を持っていることは特に去年の予選で証明済みですが、バイヤー・レーヴァークーゼンはシャルケとは異なるクラブ。クラブに慣れ、自分が何たるかをここでも見せる必要があります。

ファビアン・ギーファーにとってはもっと厳しいものになるのでは。ラルフ・フェアマンとポジション争いをしろと本気で呼びかけるのですか

ケラー: 後半戦の抜群の出来でラルフが現時点でリードしているのは当然ですが、彼だって過去の成績に甘んじているわけにはいきません。

エリック・マキシム・チュポ=モティングには何を期待しますか。ツートップという可能性も生まれるのでは

ケラー: それもありますね。フンテラールとは異なるタイプの選手で、大変なスピードといい技術を持っています。チュポ=モティングで選択肢が増えたということです。フンテラールが出られない時もそうですが、ツートップでプレーする場合もそうです。それに彼はサイドでプレーすることもできます、マインツでやっていたように。

攻撃陣の選択肢はたくさんありますが、ケヴィン=プリンス・ボアテングもこれからはまたトップ下でプレーしたいと言っています。何か問題は

ケラー: いえ。彼は昨シーズンの後半戦でもいつも言ってましたからね、監督、また前でやりたいです、と。それでもボランチでプレーし、よくやってくれていました。大会が3つあるので(※訳者注:リーグ戦、カップ戦、チャンピオンズリーグのこと)、必ずまたローテーションの必要が出てくるでしょう。


シャルケ監督ケラーの将来は
http://www.derwesten.de/sport/fussball/s04/was-schalke-trainer-keller-ueber-seine-zukunft-sagt-page3-id9615026.html


今回のオフ期間中に他のクラブ(※訳者注:複数形)からあなたへの問い合わせがあったとスポーツディレクターのホルスト・ヘルトが言っていました。シャルケを去るという考えはあったのでしょうか

ケラー: 全然。このことについてコメントするつもりもありません。1年半ここで自分はまあよくやってきたのではないかと基本的に思っています。他でもそう受け取られているのかもしれませんね。

シャルケがマインツ監督のトーマス・トゥヘルと話し合いを持ったことによる影響はまだ何かしらあるのでしょうか

ケラー: いいえ、全く何もありませんよ、そのニュースが広まった時点ではその話はクラブから出たわけではありませんでしたから――外部が膨らませたものであって。

クラブが冬にトゥヘルと接触したのですよ、メディアではなく

ケラー: それに私は常に事情をしっかり知らされていたのですよ、ホルスト・ヘルトは冬にすでに状況を説明してくれていましたから。最悪の場合に備えて、1月に他の監督に前もって探りを入れるのは、クラブの正当な権利です。初めの2、3試合がうまくいかなかったとしたら?私の知っている限りでは、3月や4月に新監督との話はなかったかと。

いつかご自身の契約延長の話は出るのでしょうか

ケラー: それは私がどうにかできることではないので――勝利と勝ち点以外では。でもそのことでストレスは全くありません。自分の契約はここシャルケであと1年あるし、これからもうまくやっていける――そこに何の心配もしていません。


Manfred Hendriock



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2014/04/28

SV Horst-Emscher 08公式サイトのBildung & Integrations Cup記事

内田がHorst 08に
http://www.horst08.de//fussballjugend-artikel-1072.html


先に言ってしまおう、大成功だったと!社団法人Bildung ist Zukunft協会(旧社団法人Promis helfen)の提携パートナーとして、社団法人SV Horst-Emscher 08は2014年4月26日の土曜日にF・Gユース杯 "Bildung und Integration" を初めて開催することができた。子どもたちや監督、スタッフ、それに保護者の方々全員が、なじみあるこの施設でぜひ2回目を開催すべきという意見で一致した。今回のイベントにおける特別なハイライトは、Bildung-ist-Zukunft協会大使のシャルケ選手、内田篤人の訪問だった。

内田選手にとってこれは義務的な仕事ではない――それはすぐにわかった。大使としての任務をとても真摯に引き受けており、辛抱強く、このようなプロサッカー選手は他にいないのではというほどだった。練習を終えて直接このイベントに来た彼は、辛抱強くサインと写真撮影のリクエストに全て応え、その後もチーム集合写真の撮影と小さなサッカー選手たちの個人的な質問に応じるためにピッチに立った。

ここでの最大の幸運は、スポーツ紙Reviersportで内田選手のHorst 08訪問を知った日本のテレビ放送局が、急遽訪ねてきたことだった。わざわざやって来たこの編集者が素晴らしい通訳者になってくれたため、回答がないまま終わった質問は一つもなかったのだ。本来なら訪問は1時間の予定だった――しかしこれほど多くのファンがいては、シャルケのプロ選手もそう簡単に出て行くわけにはいかず、また出て行く気にもならなかった。結局3時間も残り、彼女との約束までキャンセルした(※訳者注:ドイツ人がこの記事を読んだ場合の一般的な解釈としてここは「彼女」と訳しましたが、実際に内田選手がどう言いどう伝わったのかはわからないので、人数・性別・関係の真偽は不問でお願いします)。クラブ会員マガジンSchalker KreiselとReviersport紙の取材の前に、内田選手はCichos提供のソーセージでエネルギーを補給した。気持ちもお腹も満たされれば、もうひと頑張りできるというもの。いつも寿司である必要はないのだ。ユース部門による総括はこうなった――素敵な人間でありサッカー選手である彼の存在をうれしく思っているのは、シャルケ04だけではないはず。Bildung-ist-Zukunft協会も、積極的に参加してくれる強力なパートナーを得たのだから――。大変辛抱強くやってくれた内田篤人選手、ソーセージなどのとてもおいしい肉製品を提供してくれたCichosさん、大会参加者の皆さんにここでお礼を申し上げたい。せっせと動いてくれた大勢の大会スタッフ、そしてBildung ist Zukunft協会発起人ミヒャエル・フランクとジャクリーン・ケーンにも感謝を。お二人によると、次回の大会にも非常に人気のあるシャルケ選手が来場し支援してくれるのではないかとのこと。今から楽しみだ!


Britt Spielhoff



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RevierSport #35/2014掲載のBildung & Integrations Cup記事

ORTSTERMIN
「ウシー」がホーストに
寿司より焼きソーセージ、そして張り切る父親たち

写真キャプション:内田篤人とSV Horst 08のFユース。 写真:Buschmann

ゲルゼンキルヒェン=ホーストで開催されたBildungs- und Integrations Cup。Fユースの試合が始まるのは本来なら14時のはずだった。しかし、SV Horst-Emscher 08の施設 "Auf dem Schollbruch" に内田篤人が入ってくると、もう子どもたちを止めることはできなかった。アレーナのゴール裏での人気ぶりと同様に、この日本人は地域のサッカー少年たちからも好かれているのだ。

たいていのシャルケの選手にとっては、このような土曜日の午後早々のイベントというのはただの仕事なのだろうが、「ウシー」の場合は異なる。丁寧かつ根気良く何百ものサインを書き、写真撮影に応じ、それからまた人工芝のピッチの脇で各チームと記念撮影。「好きでやっているし、こういうことでファンに何かお返しができるから」と内田はいつものように謙虚に言うのだった。

写真キャプション:これでシュートも決まるぞ――「ウシー」のサインをスパイクに。 写真:Buschmann

社団法人Bildung ist Zukunft協会がこの大会を主催しており、すでに朝の9時からGユースの子どもたちがボールを蹴っていた。支援を行っているサッカー・スターは内田だけではない。ハンブルガーSVのトルガイ・アルスランも、社会的に不利な境遇で育った若者たちに様々な教育サービスの利用を可能にするべく尽力している。「趣旨がすばらしいと思ったので、喜んで参加させてもらいました」と内田。ニヤリと笑って「このサッカーの大会を見ていると、日本での少年時代を思い出しますね。そこでも一番張り切っていたのは父親たちでした」。

今の内田にはサッカーとは別の社会的テーマにも取り組む時間がある。ひどい筋肉のけがでFCシャルケを離脱して2か月半。Heßler 06やErle 08、Sportfreunden Stuckenbuschの子どもたちからも、プレーできるのはいつになるかと質問が飛んだ。「できるだけ早くプレーできるようになればいいんだけど」と「ウシー」は言い、「シーズン終了まであと2試合しかないから。かなりギリギリになるね」。

ブラジルW杯日本代表メンバー発表前にイタリア人監督のアルベルト・ザッケローニにもう一度アピールするには、早くコンディションを取り戻さなければならない。「もちろんW杯にはぜひ参加したいです」とうなずく内田。「でもそれは監督が決めることなので」。

もっとも、このホーストの "Bildungs- und Integrations Cup" にいた子どもたちの思っている通りになれば、シャルケか母国代表かに関わらず「ウシー」は常に彼らしくいいプレーをするに違いない。

写真キャプション:(左から)Martin Wissing [Horst 08副会長]、Joe Spielhoff [Horst 08ユース部長]、内田、Christian Vieth [Horster Kurve(※訳者注:ホーストのシャルケファンクラブ連盟(SFCV)加盟ファンクラブ)会長] 写真:Buschmann

間近に迫る契約延長

あと1年しか残っていないこの右サイドバックの契約をシャルケができるだけ早く延長したがっているのも、これほどの人気があるからというだけではもちろんない。彼自身がサッカーの面でいいものを持っていることによる。「(契約延長に関して)話し合い中」だとスポーツディレクターのホルスト・ヘルトは明かしている。契約延長が行われると考えられる理由は少なくない。負傷前の内田は絶好調で、守備面の欠点に文句をつけていた多くの批評家たちを黙らせたからだ。「シャルケでとても気持ち良くやっているし、クラブも僕を評価してくれていると思う」と26歳の彼は言う。

すでに90分とアディショナルタイムが過ぎていたが、内田は急いでいなかった。ホーストでは空が青と白だっただけではなく、バーベキューグリルの屋台が出ていたりと食べ物も完璧だったのだから。「やった、焼きソーセージだ」と内田は言い、「寿司より断然いいね」。

"Horster Kurve" のシャルケサポーターたちと写真をもう1枚撮り、ようやく彼は黒のバギーパンツと青のスニーカー姿で自分の車までぶらぶら歩き、家路についた。

会場では再び試合が始まっていたが、内田がシャルケのために新たに右サイドバックを発掘することはなかった。「僕がいるんで」。



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