2015/12/01

11FREUNDEのノイシュテッターインタビュー

ノイシュテッターの世界大旅行
「ビールを冷やしておいてくれたウシー」
http://www.11freunde.de/interview/roman-neustaedters-grosse-weltreise


インタビュアー:Ron Ulrich

インドのスラムを旅し、内田と一緒に日本を歩き、スティーブ・ナッシュとの時間を過ごしたシャルケのロマン・ノイシュテッター。11FREUNDEは本人に話を聞いた。

and look who i found 😜 #uchi the best Tokyo guide 🎌

Roman Neustädterさん(@romainnewton)が投稿した写真 -


プロ選手とサッカー以外のテーマで話をする不定期企画、第1弾はロマン・ノイシュテッターと旅について。彼がどのように本誌の『生き別れのふたご』コーナーにリベンジを果たしたのかは、現在発売中の本誌最新号をご覧あれ。

それではノイシュテッターさん、旅の話をしましょうか。旅が趣味になったきっかけは何ですか?
昔は旅行にほとんど興味がなくて、夏のオフはどこかビーチでゆっくりしたいと思う程度でした。でも妻に旅行熱を移されてしまって。それで去年は中央アメリカと南米をあちこち旅しました。チリ、アルゼンチン、メキシコと。パタゴニアをハイキングして氷河の上に立ったんですが、あれはゾクゾクしました。

ハイキングはご自身で手配するのですか?
ツアーをやっている代理店に頼むこともあれば、現地に住んでいる知り合いに電話をすることもあります。この夏は、インドの慈善団体で活動しているマヌエル・フリードリヒ(編集部注:マインツ、レヴァークーゼン、ドルトムントなどでプレーした元プロ選手)にコンタクトを取りました。ストリートチルドレンの世話をしている団体で、そこを訪ねようと思って。マヌエルは「そう思ってくれるのはすばらしい。でもヤバいことになる可能性も覚悟しておけよ」と。

インドのどこですか?
ダラヴィというムンバイのスラムです。スラムと聞くと誰だって抵抗があると思うけど、ダラヴィのスラムには医者も弁護士も住んでいると現地の方たちが言っていました。独自の社会みたいなものですね、例えばレザーの製造といった独自の市場や経済活動があって。

現地では何をしたのですか?
"Anstrengung United"という組織がこのスラムの子どもたちのために活動していて、さまざまなコースを企画運営しています。僕らがいたときは、タトゥーアーティストが来て子どもたちにトレース用の型紙をプレゼントしたりとか。僕らは一緒に絵を描いたり、遊んだりして過ごしました。晩になったら家まで送っていってあげようと。でもそれはできませんでした。

どうしてですか?
15分ほど歩いたら、Anstrengung Unitedのスタッフが「ここまでで結構です、子どもたちにはお迎えが来ますから」と言うんです。子どもたちはどこに住んでいるのかと尋ねると、答えは「路上」。布を1枚張っただけの下で暮らしている人たちがいるんです。道に横になっている人がいて、その上を人が歩いていて。普段は兄が一緒に来ているけど、働かなきゃいけないから来れなかったと僕に言う男の子がいました。するとその子はパンツ姿で道端に座って竹かごを編んでいたのです。6歳ぐらいだったかもしれません。

そこで人々はどのように過ごしているのですか?
すごく狭い空間で暮らしていても、お互いを尊重していました。でももちろん世界が違います。今回の訪問だけでも、ドイツで当たり前だと思っていたことの有難みがじゅうぶんわかりました。食べ物しかり、寝る場所しかり、医療しかり。

インドでの食事はいかがでしたか?
市場も通りましたよ。そこでは店員さんが動物を殺して路上で血抜きしてグリルに載せていました。目の前で皮を引っ剥がして頭を切り落とす。やっぱりちょっと慣れがいるかなと(笑)。でも食べましたよ。ほとんどはフライで、食材が40種類ぐらい一緒くたになっていて。すごく独特でおいしかったです。

電車に乗るのは冒険だと語るムンバイ訪問者は多いですね。
確かに。まだ停車していないのに、飛び降りる人がいるし飛び乗る人もいるし。12時に銀行員のための弁当配達が一斉に到着する駅があるんです(※訳者注:ダッバーワーラーで検索)。配達人がその箱を頭の上に載せて運ぶんだけど、あれが何キロぐらいあるのかは知りたくないですね。バスとタクシーの運転も結構きてます。恐怖で自分の足が空ブレーキを何回となく踏んでいたほどぶっ飛ばしていました。

滞在中にトラブルはありましたか?
バスのところで同乗者を待っていたとき、妙な状況が一度あっただけですかね。こちらがヨーロッパの人間だというのはすぐ気付かれるじゃないですか。幼児を抱いた年配の女の人が近付いてきて、お金を恵んでくれと。僕は何かあげようと思って、その人に背を向けてバッグを探ったんです。するとAnstrengung Unitedのスタッフが「何もあげないでください、大変ですよ」と。振り返ったときには20人もの人が手を伸ばしていました。もし僕が女の人に何かあげて、他の人にはあげなかったとしたら、状況はエスカレートしていたでしょう。良かれと思ってやっても、それが良くないことを引き起こすかもしれないわけです。

インドにはどのくらいいたのですか?
ムンバイには5日間いました。やってよかったです。こういうことは二度とできないかもしれないから。到着の時点ですでにへとへとに消耗して、半日寝てしまうほどで。印象、色彩、匂い――そのすべてがぐったりするほどたくさんあって強烈でした。

ムンバイ訪問後は東京へ。それはまたどうしてですか?
ウシー(編集部注:ノイシュテッターのチームメイト・内田篤人)が「遊びに来いよ、東京はマジぱねえから」といつも言っていて。それで本当に手術直前の2日間で街中を案内してくれたんです。残りの日程は現地のスポーツ用品メーカーで働く僕の友人と行動しました。

内田は日本で手術を受けました。クラブは驚いていましたが、ノイシュテッターさんは何かご存知でしたか?
彼の予定については新聞で読んだだけです。日本で本人から教えてもらいましたが、そのことについて突っ込んだ話はしませんでした。

内田は日本ではスターであり、ファッション誌の表紙も飾っています。東京では自由に行動できるのですか?
いえ、全然。サングラスをかけていましたが、それでも2メートルごとに人々が口をぽかんと開けて振り返っては「内田だ、内田だ!」とひそひそ言っていました。それで地下鉄で行こうかとウシーが聞いてきたので、「いいね、そうしよう」と。僕にとって海外での地下鉄というのは最高で最速の移動手段の一つだし。でもウシーは地下鉄に乗ったことがなかったんです。乗り込むと、すぐに彼の周辺が色めき立ちました。その車両の全乗客がそわそわしながら振り返るんですよ、ドッキリか何かかと思ってね。本当にすごかったです。

東京での意思疎通はどのように?
ウシーが僕らのために通訳してくれました。彼はここだと自分からは話そうとしないこともあるけど、二人きりで出かけるとすごくいっぱいドイツ語でしゃべるんですよ。で彼の奥さんが隣でジェスチャーを真似する。この二人はほんとおもしろいんです。ホテルに到着すると、ウシーは僕のために前もってビールを2本冷やしておいてくれていました。冷蔵庫の横にはガイドブックとメッセージを書いたメモまで。それで後で迎えに来てくれたときに、ホテルに何も問題はないかと僕に聞いてきたんですね。「さもなくば…」と殴り込みに行く準備をするふりをしながら。大笑いしました。


ジャーメイン・ジョーンズ「お前ら頭おかしいの?」
http://www.11freunde.de/interview/roman-neustaedters-grosse-weltreise/page/1



東京にはどんな印象を受けましたか?
最高でした、絶対もう一度行きたいです。日本の昔ながらの地区を散策していたら、芸者たちが普通に道を歩いていて僕らのそばを通り過ぎていったんですよ。現地の人たちがいかに親切で感じが良く、すべてがいかに清潔で落ち着いているか。これは衝撃でした。あんなにたくさん人が歩いているのに、お互い小声で話をしている。一人で公園を歩いているんじゃないかと思うほど静かなんです。

それから旅はどう続くのですか?
少しのんびりしようとハワイに飛びました。でもそこでも滞在したのはマウイ島ではなくてハワイ島で。観光客向けのリゾートスポットがあまりない火山地帯です。原生林の中を走って、火山を間近で見ました。それから次はロサンゼルス、ジャーメインと5人の子どもたちのところへ行きました。

ジャーメイン・ジョーンズとはシャルケで一緒にプレーしていましたね。彼はアメリカで元気にやっていますか?
すごく快適に過ごしていますよ。移籍は自分の身に起こり得る中でもベストな出来事だったと言っていました。暮らしが全然違っていて、ここよりもゆったりしている。僕らはいい友達で、ほぼ毎日連絡を取り合っています。ジョーンズ家には冬にまた一緒に旅行をしようと誘ってもらっています。彼らは山に行きたいらしいけど、何をするかはまだわかりません。

#stirnlampe ⛺️

Roman Neustädterさん(@romainnewton)が投稿した写真 -


インドのスラムから華やかなロサンゼルスへ――カルチャーショックはありませんでしたか?
いや、ロスではアッパーな過ごし方だけをしていたわけではないので。ジョシュア・ツリー国立公園に行って、テントを張りました。僕はそれまで特別キャンプ好きだったわけじゃないんですけどね。そこで初日の晩からすごい体験をしました。日の入りに合わせてもう一度散歩に出たら、急に横で何かがカタカタと。

ヘビ?
そう。そういうシチュエーションでは、動かないでじっと静かにしていなきゃだめじゃないですか。なのに、振り返ったら妻はすでにダッシュで逃げていた。でヘビの方を見たら、そいつは向きを変えて僕の方を見ている。もう心臓バクバクで。でも幸いそのまま這っていってくれました。それ以外だと気温がえげつなかったです。夜は超寒くて、朝は息が詰まったかと思うぐらい暑い。ジャーメインに写真を送ったら、「お前ら何してんだよ、頭おかしいんじゃね?」と。

では街歩きは一切しなかったと。
いや、それもしましたよ。でもロスは人が想像しているよりもずっと単調で。僕なんかはウォーク・オブ・フェームに全然気付かなかったぐらいです、普通の歩道に見えたから。スパイダーマンの格好をした人たちが飛び回ってて「マジかよ」と。あの街には信じられないぐらい正反対の顔があります。ある晩に真っ暗な道を車で走っていたら、道には人っ子一人いなくて。信号は全部赤。そこに突然誰かがショッピングカートを押しながら車の前に現れたんです。こいつら強盗だと思って、アクセル踏んでショッピングカートを振り切って、赤信号を通り過ぎました。するとその裏通りはまた普通に明かりがキラキラですごく賑わっているという。

スティーブ・ナッシュやアレッサンドロ・デル・ピエロに会ったのはどういう成り行きだったのですか?
ジャーメインがニューヨークのあるプロモーターとの橋渡しをしてくれたんです。もともとハノーファーでやっていたところだそうで。スティーブ・ナッシュがチャリティーゲームを企画していて、まだ参加者を探しているのだと突然言われました。初めは信じられませんでしたよ。すると時間とホテル名と部屋番号だけが書かれたSMSが届いたんです。B級映画みたいじゃないですか、この後撃ち殺されるっていうやつ(笑)。

ではそれも信用していなかったと。
意を決して行きました。部屋に入ると、みんな席についてごく普通にしゃべっていました。ナッシュ、クリス・マリン、デル・ピエロ、それにヴェローナのマッシモ・ゴッビとかイタリアのサッカー選手たちがいて。僕はクリーブランドのポイントガードのマシュー・デラベドバと話をしました。バスケットボール界におけるレブロン・ジェームズの存在についてね。マシューは「自分が最大かつ最速の男だと想像してみな」と。「レブロンにとっちゃ他の選手たちはレゴブロックみたいなものにすぎないんだよ」。


「スティーブ・ナッシュをシャルケに招待」
http://www.11freunde.de/interview/roman-neustaedters-grosse-weltreise/page/2



ジェームズについてはマイケル・ジョーダンより上だと言う人も多い。
そういう比較は難しいと思うんですけどね。でも今のチームスポーツは個人よりもチーム力によるところが大きくなっていますよね。今年ゴールデンステート・ウォリアーズがタイトルを獲ったのもそうだし。マーベリックスが優勝したときも、確かにノヴィツキーはずば抜けていたけど、彼のチームメイトたちも頼りになった。当時はジェイソン・テリーがすばらしかったし。

スティーブ・ナッシュもNBAのレジェンドであり、MVPに二度輝いています。
あれほどの成功者なのに驕ったところが全然なくて、本当にすごくいい人でした。スティーブはトッテナムの大ファンで、ヨーロッパにはときどき来ているのだと。今度彼が来るときはシャルケに招待するつもりです。今は僕らの試合も見てくれていて、フランクフルトに勝ったときはお祝いのSMSが来ました。

If you happen to be in NYC, go and see the charity game in china town!#stevenashshowdown

Roman Neustädterさん(@romainnewton)が投稿した写真 -


旅の報告をしたときのチームメイトの反応はいかがでしたか?
インスタグラムで僕のアカウントをフォローしてくれているので、「おい、お前はいったい何をやってるんだ」と。でもこういうのはやっぱり向き不向きがあるじゃないですか。僕はビーチで過ごすだけの休暇はもう無理です、落ち着かなくて。

デュッセルドルフからゲルゼンキルヒェンへの引っ越しは休暇中に決断したのですか?
休暇は難しいシーズンを終えて頭を休ませるのに良かったです。それでプレシーズンが始まって、例のファンとの件があって。僕もそこで考えるわけですよ、変えられるものは何だろう、うまくいかなかったのは何だろうと。自分が変わらなかったら何も変わらない。それでゲルゼンキルヒェンに引っ越すことに決めました。クラブや町の人々との距離をもっと縮めて、もっとよく理解するために。

奥様はどのような反応を?
快く受け入れてサポートしてくれました。ゲルゼンキルヒェンにはすごく暖かく歓迎してもらいました。

先ほど「例のファンとの件」という言葉がありましたが。トレーニングキャンプで侮辱的な言葉を吐いたウルトラスに釈明を求めていましたね。実際には何があったのですか?
ランニングをしているときの話で、僕は一番速い数値を出している第1グループにいました。そのあとグループをくっつけて11人ずつでやることになって。だから横に広がるんじゃなくて縦に並んで走ったんです。僕は一番後ろについていたけど、それはほんと何の問題もないことで。すると最終セットのときにそのくだらない言葉が飛んできたんです。僕は自分が批判されるのはかまわないし、話をしてくれるのも大丈夫。でも侮辱は別です。すぐに対処したのは自分にとって良かったけど、チーム全体にも影響がありました。全員が文字通り味方についてくれたからです。

その話し合いで何かしこりは残りましたか?
僕にはないです。そのファンは次の日に謝ってきたし。僕も基本的に昔ほどいろいろと真剣に受け止めることはしなくなりました。インターネット上のコメントもそうです。

読んでいるのですか?
ざっと目を通しています。でも「サッカーやめろやこのクソが」とか書いてあったら本気には取りません。興味深いコメントもときどきあるんですよ、例えばうちの戦術とか僕のポジショニングについての話とか。そういうのは何かしら取っ掛かりようがあるし。


「フェアマンはÖmmes」
http://www.11freunde.de/interview/roman-neustaedters-grosse-weltreise/page/3



自身が変化をするという話がありましたが、それはプレースタイルについてもそうですか?
いや、それは別です。自分のプレースタイルは何年も続けているものだし、それで僕もチームも結果をわりと出せていたので。変えたかったのはどちらかというと世間のイメージです。『ボアテング軍団』とつるんでサボっているとか、ピッチにいるときよりポーカーをしているときの方が集中力は上だとか新聞に書かれてしまって。

『ボアテング軍団』とはデュッセルドルフに住むケヴィン=プリンス・ボアテング周辺の選手たちのグループ。不穏なチーム状況の責任を問われました。このような派閥が存在するという報道は誤りではなかったのでしょうか?
あれは誇張で、そういうはっきりした派閥というものはなかったです。とにかくうまくいかないときで、僕らはマイナスの流れにはまっていってたし、僕らを盛り上げることができたであろう選手もいなくて。去年のプレースタイルも僕らには全然合っていなかった。ロングボールを出して待っているだけ。僕なんかはボランチのポジションでつぶすしかなかった。今は全然違います。

あの頃に後ろ盾が欲しいと思いましたか?アンドレ・ブライテンライターはシーズン初めの記者会見の中であなたを全力で擁護しました。
彼にはすごく感謝しています。シャルケで僕を庇ってくれた初めての監督なんです。あれはうれしかった。彼はとんでもなく前向きな人です。それが僕ら全員に伝染しています。去年の話をすることはもうなくなりましたね。再出発にはこういう散々なシーズンが必要になることもあるんでしょう。ああいうのはもう二度とないように願いますが、いい部分もあったのかもしれません。

多くのファンの目には、あなたはシャルケに移籍してすばらしいプレーをみせ、ドイツ代表に招集され、そして急カーブがあったように映ります。この見解には賛成ですか?
いや、チームがうまくいっていると選手個人も良く見えるもので。サッカーではプラスにもマイナスにも流れるときは早いし。代表戦で電源プラグを引っこ抜いた人がいたわけじゃないですよ(笑)。

サッカーに関する最後の質問です。センターバックとボランチ、どちらでプレーするのが好きですか?
もうわからなくなりましたねえ。比較のためにもう一度中盤でプレーしてみたいです。でもセンターバックでも気持ち良くやっています。

では最後に、あなたのルール地方融合度をチェックするためにルール地方辞典からいくつか出題させていただきます。『Tullux』『Bullemann』『Ömmes』、これらの言葉をご存知でしょうか。
うーん、1つめのは知りません。『Bullemann』は警官のことでは?

辞典によるとTulluxは「あることで無駄に大騒ぎする」ことだそうです。『Bullemann』はかつて子どもたちを驚かせるのに用いた架空の人物のことです。
『Ömmes』は食べ物でしょ?

「脅かすよりも楽しませてくれるような大きなもの」。大きな人に対しても使えるそうです。
じゃあラレのことだ(編集部注:ラルフ・フェアマン)。ラレはÖmmes。覚えておきます。



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