シャルケ:信頼に応える内田
ヘルトの他に内田の陰に隠れたのは
http://www.kicker.de/news/fussball/bundesliga/vereine/614612/artikel_uchida-stellt-nicht-nur-heldt-in-den-schatten.html
先週の木曜日にFCシャルケ04はディフェンダー内田篤人との契約を2018年まで延長。日本人の彼は土曜日(※訳者注:金曜日の間違い)にさっそく、シャルケの判断が正しかったことを証明した。アウグスブルク戦で1:0の決勝点となるゴールを生んだだけではなく、チーム全員を凌駕し、そのパフォーマンスで特別な賛辞を得た。
写真キャプション:シャルケの勝利に関与し、決定的な役割を果たした――内田篤人。
木曜日。事務所に入ってきた内田を見て、ホルスト・ヘルトはつい口をぽかんと開けた。契約のサインに訪れた日本人の彼は、高級生地に身を包んでいた。シャルケのクラブスーツ。それにネクタイ。ヘルトははっと気付いた。自分の方がフォーマル度の低い服装をセレクトしていた。青いシャツ、青いセーター。「すっかり篤人に食われてしまった」とヘルトは微笑み、胸を張った。「篤人にどんな自覚があるのかという表れだ」。
金曜の晩には、内田はチームメイトたちを霞ませてしまった。クラース=ヤン・フンテラールが絶品ゴールを決めて1-0に――それでも、ピッチで最も輝いた男の名は内田だった。右サイドバックの彼はその日の主役の座をかっさらった。自陣でエスヴァインのパスをインターセプトし、敵陣のゴールラインまで全力疾走、そしてクラース=ヤン・フンテラールにボールを出した、決勝点のあのすばらしいお膳立てがあったからというだけではない。守備においても極めて高い集中力で自分の仕事を遂行し、1対1に果敢に挑んだ。新しい契約――期間は2018年まで――が力になっているのだろう。スポーツ部門長であるヘルトも認めた。「篤人はずば抜けて良かった」。
他のプロ選手ならば、契約交渉が終わるとまずはほっと一息入れるところだが、自分の義務とはパフォーマンスで信頼に応えることだと内田は考えているようだ。全力を尽くして取り組んだアウグスブルク戦。スポーツ面での資質の他に、しかるべき職業意識を持ち合わせていることがここにも表れている。それゆえに、シャルケの人間はこの主力選手を巡る競争に勝てたことをうれしく思っている。海外からは、特にACミランやバレンシアCFが内田に注意深く触手を伸ばしていたとされる。「しかし一度シャルケに来てしまうと、」にやりとするヘルト。「もう他へ行きたいとは思わなくなるものだ」。
Jan Lustig
※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい
2014/11/02
2014/10/19
WAZのフクスインタビュー
フクス
シャルケの練習に行くのも大変だったクリスティアン・フクス
http://www.derwesten.de/sport/fussball/s04/christian-fuchs-quaelte-sich-zum-schalke-training-id9944826.html
写真キャプション:クリスティアン・フクスはサッカーへの意欲を取り戻した。写真:imago sportfotodienst
ゲルゼンキルヒェン。 土曜日のヘルタBSCベルリンとのホーム戦(18時30分)で、シャルケでのロベルト・ディ・マッテオ指揮下の時代がいよいよ始まる。「僕にとっては新たなスタート。自分を出していくつもり」とオーストリア人のクリスティアン・フクス。このインタビューでは監督交代の話題ではなく、シャルケにおける役割について迫る。
クリスティアン・フクスさん、今もなお自分がシャルケで試合に出ていると2か月前に思っていましたか
クリスティアン・フクス:メディアでは移籍話が実際よりはるかに大きく伝えられていましたが、そこまではっきり具体的な話はなくて。今は僕もそのことに興味はありません。ここにいて、再び試合に出ているから。記事の見出しはこれでどうですか――『死んだはずの人間、生き長らえる!』(笑)。
では、けが人が多数いるという理由だけで自分が出場できていることは気にしていないと
フクス:シャルケは補強としてデニス・アオゴという新しい選手を獲得したわけで、シーズン前の僕の立場はベストではありませんでした。正直、数週間前でも自分がこれほど試合に出ることになるとは予想していませんでした。でもひとつはっきりしているのは、青と白が自分のカラーである限り、僕はシャルケのために全力を尽くすということです。
昨シーズンは膝を痛めていましたね。試合には出たり出なかったりで。何がどうなっていたのですか
フクス:第3節のハノーファー戦で痛めてしまいました。治るだろうと思っていたのですが、そうはいきませんでした。状態が良くないのに、プレーするというミスをしたからです。ただでさえ離脱している人が多かったし、みんなの力になりたかったんです。僕はちょっとしたことでマッサージベッドに横になって愚痴を言うタイプではありませんし。結局あんなに先、3月まで手術を延ばしてしまったというのは、完全なミスジャッジでした。
現役生活の中でも最も厳しい時期だったのでは
フクス:間違いないですね。計8か月間、かろうじて乗り切ってきた状態だったので。達成感をちょっと味わうと、おっ、いけるじゃんと思うわけですよ。するとその2、3日後に再び痛い目を見て、すべておしまい。サッカーがあの時期はもう楽しめなくなっていました。ほとんど動けなくなっていて。練習前から考えていましたね――今度はどんな苦しみが?と。
今はすっかり痛みもなくなりましたか
フクス:(笑)そんな人がいるのか、プロサッカー選手に聞いてみてくださいよ。誰も見つからないですよ。でも今はまたサッカーに対する意欲がしっかり持てるようになっています。
あなたは最も辛口評価を受けてきた選手の一人です。攻撃では効果的な仕事をするが守備はめちゃくちゃだ、と嘆く声があることはご存じですか
フクス:ドイツに来て以来耳にしていますよ。それに対して冷静でいられるようになりましたし、その声を完全に静められるほど、自分のプレーを劇的に変えることはもうできないかなと思います。もちろん守備をもっと安定させようと自分でも心していますが。
シーズンが終われば契約は切れます。その後はシャルケに残るのか、それとも移籍になるのでしょうか
フクス:僕にとって大事なのは今現在だけ。試合にまた出られていることがうれしいです。学習したことがあるとすれば、予想は控えた方がいいということ。サッカーにおいてはすべてがすぐに変わっていくもの。だから先を見ても何もならないんです。
※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい
シャルケの練習に行くのも大変だったクリスティアン・フクス
http://www.derwesten.de/sport/fussball/s04/christian-fuchs-quaelte-sich-zum-schalke-training-id9944826.html
写真キャプション:クリスティアン・フクスはサッカーへの意欲を取り戻した。写真:imago sportfotodienst
ゲルゼンキルヒェン。 土曜日のヘルタBSCベルリンとのホーム戦(18時30分)で、シャルケでのロベルト・ディ・マッテオ指揮下の時代がいよいよ始まる。「僕にとっては新たなスタート。自分を出していくつもり」とオーストリア人のクリスティアン・フクス。このインタビューでは監督交代の話題ではなく、シャルケにおける役割について迫る。
クリスティアン・フクスさん、今もなお自分がシャルケで試合に出ていると2か月前に思っていましたか
クリスティアン・フクス:メディアでは移籍話が実際よりはるかに大きく伝えられていましたが、そこまではっきり具体的な話はなくて。今は僕もそのことに興味はありません。ここにいて、再び試合に出ているから。記事の見出しはこれでどうですか――『死んだはずの人間、生き長らえる!』(笑)。
では、けが人が多数いるという理由だけで自分が出場できていることは気にしていないと
フクス:シャルケは補強としてデニス・アオゴという新しい選手を獲得したわけで、シーズン前の僕の立場はベストではありませんでした。正直、数週間前でも自分がこれほど試合に出ることになるとは予想していませんでした。でもひとつはっきりしているのは、青と白が自分のカラーである限り、僕はシャルケのために全力を尽くすということです。
昨シーズンは膝を痛めていましたね。試合には出たり出なかったりで。何がどうなっていたのですか
フクス:第3節のハノーファー戦で痛めてしまいました。治るだろうと思っていたのですが、そうはいきませんでした。状態が良くないのに、プレーするというミスをしたからです。ただでさえ離脱している人が多かったし、みんなの力になりたかったんです。僕はちょっとしたことでマッサージベッドに横になって愚痴を言うタイプではありませんし。結局あんなに先、3月まで手術を延ばしてしまったというのは、完全なミスジャッジでした。
現役生活の中でも最も厳しい時期だったのでは
フクス:間違いないですね。計8か月間、かろうじて乗り切ってきた状態だったので。達成感をちょっと味わうと、おっ、いけるじゃんと思うわけですよ。するとその2、3日後に再び痛い目を見て、すべておしまい。サッカーがあの時期はもう楽しめなくなっていました。ほとんど動けなくなっていて。練習前から考えていましたね――今度はどんな苦しみが?と。
今はすっかり痛みもなくなりましたか
フクス:(笑)そんな人がいるのか、プロサッカー選手に聞いてみてくださいよ。誰も見つからないですよ。でも今はまたサッカーに対する意欲がしっかり持てるようになっています。
あなたは最も辛口評価を受けてきた選手の一人です。攻撃では効果的な仕事をするが守備はめちゃくちゃだ、と嘆く声があることはご存じですか
フクス:ドイツに来て以来耳にしていますよ。それに対して冷静でいられるようになりましたし、その声を完全に静められるほど、自分のプレーを劇的に変えることはもうできないかなと思います。もちろん守備をもっと安定させようと自分でも心していますが。
シーズンが終われば契約は切れます。その後はシャルケに残るのか、それとも移籍になるのでしょうか
フクス:僕にとって大事なのは今現在だけ。試合にまた出られていることがうれしいです。学習したことがあるとすれば、予想は控えた方がいいということ。サッカーにおいてはすべてがすぐに変わっていくもの。だから先を見ても何もならないんです。
Heiko Buschmann
※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい
https://uschi22.blogspot.com/2014/10/derwesten-Fuchs.htmlWAZのフクスインタビュー
2014/10/13
【番外編】Frankfurter Rundschauの長谷部誠インタビュー
長谷部誠
「本から自分のインスピレーションを得る」
http://www.fr-online.de/eintracht-frankfurt/makoto-hasebe--aus-buechern-ziehe-ich-meine-inspiration-,1473446,28719302.html
INGO DURSTEWITZ & THOMAS KILCHENSTEIN
写真キャプション:サッカー哲学者、インタビューにて。写真:Jan Huebner
アイントラハト・フランクフルトのミッドフィールダー長谷部誠が、ドイツでの平穏な暮らし、日本における熱狂、『心を整える』――そしてフリードリヒ・ニーチェの教えについて語る。
長谷部誠・30歳は、週末の休日をパリへの小旅行にあてた。少しばかりショッピングをして、友人と会い、和食レストランでおいしい食事を堪能する。「いいんじゃないでしょうか」。フランクフルトのミッドフィールダーは、その前にフランクフルター・ルントシャウのために時間を設け、自身について詳しく語ってくれた。ブンデスリーガで156試合に出場(5ゴール)している彼は、インタビューが進むにつれ、心を開いていった。Hase(※訳者注:ドイツ語でウサギの意)という愛称を持つこの聡明な日本人は、物事の背景を探るのが好きで、「既定のことだ」と甘受は決してしない男だった。
長谷部さん、資料をぱらっと見させてもらったのですが、そこで驚くべきネタを発見しました。あなたは本当はゴールの中でもプレーできるそうですね
ゴールで?どこからそんな話が?
そうですね、これは大げさな表現だったかもしれません。しかしブンデスリーガでゴールに立ったことはありますよね。フィールドプレーヤーでそう言える人はあまりいません
ああ、あのことですか。まだヴォルフスブルクにいた時の、ホッフェンハイムの試合だったと思います。キーパーに2枚目のイエローが出てしまったけど、交代枠はすでに使い切っていた、それで誰かフィールドプレーヤーがゴールに入らなければいけなくなって。
それで立候補したのですか
僕が?違いますよ。フェリックス・マガト監督がそう決めたんです。
なぜです?ユース時代にキーパーをしたことがあるのですか。練習でやっていたとか
いえ、全然。マルコ・ルスもその試合に出ていたのですが、彼がゴールに入る気でいて、マガト監督にも尋ねたんです。でも監督は僕に入れと。それだけです。どうしてなのかはわかりません。僕が入ってさらに1失点して、結局1‐3で終わりました。まあ、いい経験でした(笑)。
ずっと中盤でプレーしてきたのですか
そうですね、守備的ミッドフィールダーの守備型だったり攻撃型だったり。でもヴォルフスブルクではあらゆるポジションでプレーしました。右サイドバック、左サイドバック、右ウィング、左ウィング、プレーメーカー、ゴールキーパー……やらなかったのはセンターバックとセンターフォワードだけ。それ以外は全部やりました。
写真キャプション:もっとゴールを脅かす存在に――長谷部誠。写真:Stefan Krieger
これぞフェリックス・マガトですね。厳しかったでしょう
ええ、僕にとっては間違いなく一番きつかった時期ですね。メディシンボールのことは前から知っていましたが、サッカー繋がりで知ったわけではなくて。でもうまくいってドイツチャンピオンになりましたからね、僕らは。ジェコとグラフィッチが前線にいて、その二人で50ゴール以上決めて、その後ろにはミシモヴィッチがいて――それだけでもすごい。そういうチームでプレーさせてもらえたのは幸運でした。僕自身成長しましたし。フェリックス・マガトには感謝しなければいけません。僕を日本から獲得してくれた。彼にしてもらったことは決して忘れません。
どうしてもヨーロッパに来たかったのですか。浦和レッドダイヤモンズだってなかなかいいクラブですよね、日本のバイエルン・ミュンヘンと言われていて
ええ、在籍当時AFCチャンピオンズリーグで優勝しました。でも、ブンデスリーガに移籍するチャンスがあるなら掴むべき。僕が日本にいた当時の監督はギド・ブッフバルトとホルガー・オジェックでしたし、常にドイツ人がたくさんいたわけです。
ウーヴェ・バインも浦和に移籍しましたが、これはずっと前の話ですね。あなたがウーヴェ・バインについて耳にすることも最早ないでしょう
ウーヴェ・バインのことはもちろん知っています、面識はありませんが。彼が来た当時、僕は14歳でした。すばらしい選手で、足は左利きで、10番だった。知ってますよ当然。
高原直泰もフランクフルトからレッドダイヤモンズに行きましたね
そうです、彼は3部リーグで今もプレーしていて。35歳になりましたが、元気にやっていますよ。
4年前にドイツに来た時はいかがでしたか。ヴォルフスブルクは世界の中心地というわけでもありませんが
初めの2年は大変でした。全く新しい生活に新しい文化に新しい言葉。それにヴォルフスブルクは小さい街ですし、日本を懐かしく思い出せるものは何もなくて。和食レストランもないし、日本人もいない。完全にひとりぼっちでしたね。
でも家族や奥様がそばにいたでしょう
いえ、僕1人だけでした。独身だし誰もいなくて。大変だったけど、自分にとっては良かったとも言えます。
良かった?言葉を勉強する必要に迫られたからですか
それもあります。最初の3か月は通訳の方に付いてもらいましたが、3か月経つとその必要もなくなりましたし、その必要をなくそうとも思っていました。ひとりでうまくやっていく、ひとりでどうにかやっていきたかったんです。まあうまくいった方だと思います。
全て独力でやるというのは、あえて意識しての決断なのですか
プロになったのは12年前ですが、以来ずっと全て自分でやってきました。これからもそれは変えたくないです。
本質的なことにより集中できるということでしょうか
そういうことです。横道に逸れることなく、自分の時間の「流れ」と必ず行う「儀式」を持つ。僕はサッカー第一でやっています、プロですから。
http://www.fr-online.de/eintracht-frankfurt/makoto-hasebe--aus-buechern-ziehe-ich-meine-inspiration-,1473446,28719302,item,1.html
フランクフルトでは自由に行動できていますか。それとも道を歩いていて気付かれますか
いえ、こちらで気付かれることはないです。日本人以外にはという意味ですよ。街の散策や散歩にも出かけましたし、レストランにも行っています。ここには日本人がたくさんいて、ハウゼン地区に住んでいる人が多いです。日本人学校があるんだと思います。
ご自身の国では、道を歩けば大きな人だかりができてしまうのでしょうか
そうなるかもしれません、こちらとは違いますね。東京で食べに行く時は必ず個室があるレストランです。道を歩くのはなかなか難しい。無理ですね。1300万人が住んでいるのに(笑)。
そっとしておいてもらえるのと、気付かれて注目されるのとではどちらがいいですか
落ち着いた環境の方が好きですね。だから現役引退後ドイツに残る自分も想像できるんです。整然としているし落ち着いている。僕にはぴったりです。
フリードリヒ・ニーチェをドイツ語で読んだという話は本当ですか
ニーチェは読みましたが、ドイツ語でではないです。ドイツ語でだったらちょっと難しかったでしょうね(笑)。2010年の南アフリカワールドカップに本を3、4冊持って行ったのですが、その中にニーチェもありました。彼の教えと哲学が好きなんです。とてもいい本ですよ。頭に効きます。
あなたは知識人だとか、本をよく読む博識家であるとか、他のプロ選手とは何か違うと言われています。心を強くするための自分なりの方法があるのですか。瞑想?ヨガ?
ええ、例をひとつ挙げましょうか。寝る前に心を静めるんです。精神を集中し、深呼吸して、自分の後ろと前にあるものを考える。つまり、今日は何をして、何を経験したのか。明日は何をするべきなのか。そうやって心を静める。すると頭で心拍をコントロールできるようにもなります。
そうやって自分に向き合うのにはどれくらい時間をかけるのですか
ばらばらです。10分の時もあれば30分の時もあります。
それ以外の方法は
お湯に浸かります、毎晩。僕ら日本人はほとんどみんなそうしています。「シャワーをする」のではなく、「お風呂に入る」んです。それもしっかり熱いお湯、42、43℃のお湯に15、20、30分間と。心が休まって、筋肉もほぐれます。でも試合2日前からはお湯に浸かることはしません。
本もたくさんお読みになるとか
はい、いつも長時間。インターネットは好きじゃなくて、めったに見ません。もっぱら読書です。哲学的なものがほとんどです。本から自分のインスピレーションと力をもらっています。今読んでいるのは村上春樹(編集部注:最も有名で影響力のある日本人作家の一人。文学賞を多数受賞している)です。
ブックフェアにも行きましたか(※訳者注:フランクフルトの書籍見本市は世界的に有名)
いえ行ってません、人が多すぎて(笑)。
ご自身でも本をお書きになっていますね――„Die Ordnung der Seele – 56 Gewohnheiten, um den Sieg zu erringen.“(※訳者注:『心を整える。勝利をたぐり寄せるための56の習慣』の独訳)。これはどういった成り行きで
マネージャーが以前からよく問い合わせを受けていたのですが、僕はいつも断っていました。でもアジアカップで優勝した後、2011年に承諾しました。
何が書かれているのですか
ああ、要するに僕が何を考えているのか、つまりどう生活しているのかというだけの話です。処世訓とも言えるかもしれません。例えば常に前向きでいるとか、「整理整頓は人生の半分(※訳者注:ドイツのことわざ。直訳。良い人生には整理整頓が不可欠という意)」だとか。そういう内容の章も入っています。
えっ
僕はそう考えています。掃除はこまめにするし、いつもきちんと片付けています。僕にとって整理整頓は大事なこと。頭のためにはいいんですよ。
自らお書きになったのですか
ほとんどの部分はそうです、はい。もちろんそこから編集はしてもらいました。
本を書くのは引退後を考えてのことなのですか
いえ、もう書きません。これきりです。その本の中でかなり自分をオープンにしてしまっているからです。日本人全員が僕の考え方を知っているということになります。あれはすでにかなりプライベートに迫っている。もう一度やってみようとは思いません。
よく売れましたね
ええ、140万部売れました。
そしてそのお金は福島原発事故の被害者のために寄付しました
はい。本は1冊10ユーロ。それだけでかなりの金額が集まったことになります。そのお金で、例えば津波で流された福島近辺に幼稚園を造ってもらいました。これまでに3、4回訪問して、子どもたちとサッカーをしたりして遊びました。すごくうれしいことです。
ユニセフ大使にもなるそうですね
ええ、この冬に。そうしたらインドネシアとスマトラ島に行きます。過去に津波に襲われた地です。そこに行って大使としての役目を果たす予定です。
サッカー選手が大使になるのはよくあることではありませんね
僕は日本代表のキャプテンです、というかキャプテンでした。キャプテンというのは高い名声を得るし、社会にまで影響力がある。憧れとされます。ぜひ僕はそうありたい。僕には特権があり、プロサッカー選手で稼ぎはいいじゃないですか。すると何かの形で還元したくなる。自分にとっては当たり前のことです。
ちょっと引っかかることが――キャプテン「でした」と言いましたね。実際に免職されているのですか
わかりません。今回代表に招集されなかった。それ以上のことはわからないです。
そうなんですが、でもこの国でフィリップ・ラームだったり、バスティアン・シュバインシュタイガーだったり、マヌエル・ノイアーが何の理由もなく代表に招集されなかったとしたら――凄まじい叫び声が上がるでしょう。日本ではそうならないのですか
わかりません、僕は日本の新聞をインターネットでも読んでいませんし。だからわからないんです。こっちで僕に付いている日本の記者の方たちに聞いてみますか(笑)。
招集されなかったことには腹が立ちましたか。それともがっかりしたのですか
悲しかったです、もちろん。でも日本代表のことはこれで終わったものとは思いません。いいプレーをしていれば、きっとまた呼ばれるでしょう。
でも以前は代表戦に招集されていましたよね、膝の問題で早々にフランクフルトへ戻ることになりましたが。代表監督がそれで気を悪くしたのだとは思いませんか
わかりません。そのことについては何も言えません。
話は変わりますが、私どもには気になることがありまして。ピッチ上のあなたは常に控えめで愛想のいい典型的日本人選手、ではありませんよね。ピッチでは臆せず、よく審判と議論してクレームをつけています。これは日本人では全く見られないことで
自分のプレーに必要なんです。僕はどちらかといえばカッとなりやすい方で。僕のモチベーションです。
乾貴士の力にはなれましたか
彼は夏に新しいスタートを切りましたが、なかなかうまくいきました。今では理解できることも増えていますし、今またドイツ語の授業を受けていますからね。僕はできる範囲で手を貸します。もっとドイツ語を勉強しろと彼にはずっと言ってきたんですよ。僕の方も彼にすごく助けられています。フランクフルト案内、例えばどこにレストランがあるかとかを教えてもらって。
乾に試合中よくパスを出しているような気がするのですが
その通り。偶然じゃありません。
ここまでのチームの結果には満足していますか
はい、いい感じだと思います。勝ち点はもっと取れたはずですけど。
アイントラハトに来てすぐ、高い目標を口にしていましたね。チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグの出場権が得られる順位のことを
ええ、でもこれは僕の個人的な意見だということを強調したいです。監督やクラブがどう見ているのかはわかりません。できる限り多くを達成するには、高い目標を定めなければいけないというのが僕の考えです。
ご自身のパフォーマンスには満足していますか
まだまだもっといいプレーができるはずです。ボールを早く、大きなリスクを冒してでも前へ出すことにトライしていて。これは監督が僕に期待していることでもあるんですが。でも僕はもっとゴールを脅かせるはず。これもそのうちきっとできると思います。
Interview: Ingo Durstewitz & Thomas Kilchenstein
※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい
「本から自分のインスピレーションを得る」
http://www.fr-online.de/eintracht-frankfurt/makoto-hasebe--aus-buechern-ziehe-ich-meine-inspiration-,1473446,28719302.html
INGO DURSTEWITZ & THOMAS KILCHENSTEIN
写真キャプション:サッカー哲学者、インタビューにて。写真:Jan Huebner
アイントラハト・フランクフルトのミッドフィールダー長谷部誠が、ドイツでの平穏な暮らし、日本における熱狂、『心を整える』――そしてフリードリヒ・ニーチェの教えについて語る。
長谷部誠・30歳は、週末の休日をパリへの小旅行にあてた。少しばかりショッピングをして、友人と会い、和食レストランでおいしい食事を堪能する。「いいんじゃないでしょうか」。フランクフルトのミッドフィールダーは、その前にフランクフルター・ルントシャウのために時間を設け、自身について詳しく語ってくれた。ブンデスリーガで156試合に出場(5ゴール)している彼は、インタビューが進むにつれ、心を開いていった。Hase(※訳者注:ドイツ語でウサギの意)という愛称を持つこの聡明な日本人は、物事の背景を探るのが好きで、「既定のことだ」と甘受は決してしない男だった。
長谷部さん、資料をぱらっと見させてもらったのですが、そこで驚くべきネタを発見しました。あなたは本当はゴールの中でもプレーできるそうですね
ゴールで?どこからそんな話が?
そうですね、これは大げさな表現だったかもしれません。しかしブンデスリーガでゴールに立ったことはありますよね。フィールドプレーヤーでそう言える人はあまりいません
ああ、あのことですか。まだヴォルフスブルクにいた時の、ホッフェンハイムの試合だったと思います。キーパーに2枚目のイエローが出てしまったけど、交代枠はすでに使い切っていた、それで誰かフィールドプレーヤーがゴールに入らなければいけなくなって。
それで立候補したのですか
僕が?違いますよ。フェリックス・マガト監督がそう決めたんです。
なぜです?ユース時代にキーパーをしたことがあるのですか。練習でやっていたとか
いえ、全然。マルコ・ルスもその試合に出ていたのですが、彼がゴールに入る気でいて、マガト監督にも尋ねたんです。でも監督は僕に入れと。それだけです。どうしてなのかはわかりません。僕が入ってさらに1失点して、結局1‐3で終わりました。まあ、いい経験でした(笑)。
ずっと中盤でプレーしてきたのですか
そうですね、守備的ミッドフィールダーの守備型だったり攻撃型だったり。でもヴォルフスブルクではあらゆるポジションでプレーしました。右サイドバック、左サイドバック、右ウィング、左ウィング、プレーメーカー、ゴールキーパー……やらなかったのはセンターバックとセンターフォワードだけ。それ以外は全部やりました。
写真キャプション:もっとゴールを脅かす存在に――長谷部誠。写真:Stefan Krieger
これぞフェリックス・マガトですね。厳しかったでしょう
ええ、僕にとっては間違いなく一番きつかった時期ですね。メディシンボールのことは前から知っていましたが、サッカー繋がりで知ったわけではなくて。でもうまくいってドイツチャンピオンになりましたからね、僕らは。ジェコとグラフィッチが前線にいて、その二人で50ゴール以上決めて、その後ろにはミシモヴィッチがいて――それだけでもすごい。そういうチームでプレーさせてもらえたのは幸運でした。僕自身成長しましたし。フェリックス・マガトには感謝しなければいけません。僕を日本から獲得してくれた。彼にしてもらったことは決して忘れません。
どうしてもヨーロッパに来たかったのですか。浦和レッドダイヤモンズだってなかなかいいクラブですよね、日本のバイエルン・ミュンヘンと言われていて
ええ、在籍当時AFCチャンピオンズリーグで優勝しました。でも、ブンデスリーガに移籍するチャンスがあるなら掴むべき。僕が日本にいた当時の監督はギド・ブッフバルトとホルガー・オジェックでしたし、常にドイツ人がたくさんいたわけです。
ウーヴェ・バインも浦和に移籍しましたが、これはずっと前の話ですね。あなたがウーヴェ・バインについて耳にすることも最早ないでしょう
ウーヴェ・バインのことはもちろん知っています、面識はありませんが。彼が来た当時、僕は14歳でした。すばらしい選手で、足は左利きで、10番だった。知ってますよ当然。
高原直泰もフランクフルトからレッドダイヤモンズに行きましたね
そうです、彼は3部リーグで今もプレーしていて。35歳になりましたが、元気にやっていますよ。
4年前にドイツに来た時はいかがでしたか。ヴォルフスブルクは世界の中心地というわけでもありませんが
初めの2年は大変でした。全く新しい生活に新しい文化に新しい言葉。それにヴォルフスブルクは小さい街ですし、日本を懐かしく思い出せるものは何もなくて。和食レストランもないし、日本人もいない。完全にひとりぼっちでしたね。
でも家族や奥様がそばにいたでしょう
いえ、僕1人だけでした。独身だし誰もいなくて。大変だったけど、自分にとっては良かったとも言えます。
良かった?言葉を勉強する必要に迫られたからですか
それもあります。最初の3か月は通訳の方に付いてもらいましたが、3か月経つとその必要もなくなりましたし、その必要をなくそうとも思っていました。ひとりでうまくやっていく、ひとりでどうにかやっていきたかったんです。まあうまくいった方だと思います。
全て独力でやるというのは、あえて意識しての決断なのですか
プロになったのは12年前ですが、以来ずっと全て自分でやってきました。これからもそれは変えたくないです。
本質的なことにより集中できるということでしょうか
そういうことです。横道に逸れることなく、自分の時間の「流れ」と必ず行う「儀式」を持つ。僕はサッカー第一でやっています、プロですから。
http://www.fr-online.de/eintracht-frankfurt/makoto-hasebe--aus-buechern-ziehe-ich-meine-inspiration-,1473446,28719302,item,1.html
フランクフルトでは自由に行動できていますか。それとも道を歩いていて気付かれますか
いえ、こちらで気付かれることはないです。日本人以外にはという意味ですよ。街の散策や散歩にも出かけましたし、レストランにも行っています。ここには日本人がたくさんいて、ハウゼン地区に住んでいる人が多いです。日本人学校があるんだと思います。
ご自身の国では、道を歩けば大きな人だかりができてしまうのでしょうか
そうなるかもしれません、こちらとは違いますね。東京で食べに行く時は必ず個室があるレストランです。道を歩くのはなかなか難しい。無理ですね。1300万人が住んでいるのに(笑)。
そっとしておいてもらえるのと、気付かれて注目されるのとではどちらがいいですか
落ち着いた環境の方が好きですね。だから現役引退後ドイツに残る自分も想像できるんです。整然としているし落ち着いている。僕にはぴったりです。
フリードリヒ・ニーチェをドイツ語で読んだという話は本当ですか
ニーチェは読みましたが、ドイツ語でではないです。ドイツ語でだったらちょっと難しかったでしょうね(笑)。2010年の南アフリカワールドカップに本を3、4冊持って行ったのですが、その中にニーチェもありました。彼の教えと哲学が好きなんです。とてもいい本ですよ。頭に効きます。
あなたは知識人だとか、本をよく読む博識家であるとか、他のプロ選手とは何か違うと言われています。心を強くするための自分なりの方法があるのですか。瞑想?ヨガ?
ええ、例をひとつ挙げましょうか。寝る前に心を静めるんです。精神を集中し、深呼吸して、自分の後ろと前にあるものを考える。つまり、今日は何をして、何を経験したのか。明日は何をするべきなのか。そうやって心を静める。すると頭で心拍をコントロールできるようにもなります。
そうやって自分に向き合うのにはどれくらい時間をかけるのですか
ばらばらです。10分の時もあれば30分の時もあります。
それ以外の方法は
お湯に浸かります、毎晩。僕ら日本人はほとんどみんなそうしています。「シャワーをする」のではなく、「お風呂に入る」んです。それもしっかり熱いお湯、42、43℃のお湯に15、20、30分間と。心が休まって、筋肉もほぐれます。でも試合2日前からはお湯に浸かることはしません。
本もたくさんお読みになるとか
はい、いつも長時間。インターネットは好きじゃなくて、めったに見ません。もっぱら読書です。哲学的なものがほとんどです。本から自分のインスピレーションと力をもらっています。今読んでいるのは村上春樹(編集部注:最も有名で影響力のある日本人作家の一人。文学賞を多数受賞している)です。
ブックフェアにも行きましたか(※訳者注:フランクフルトの書籍見本市は世界的に有名)
いえ行ってません、人が多すぎて(笑)。
ご自身でも本をお書きになっていますね――„Die Ordnung der Seele – 56 Gewohnheiten, um den Sieg zu erringen.“(※訳者注:『心を整える。勝利をたぐり寄せるための56の習慣』の独訳)。これはどういった成り行きで
マネージャーが以前からよく問い合わせを受けていたのですが、僕はいつも断っていました。でもアジアカップで優勝した後、2011年に承諾しました。
何が書かれているのですか
ああ、要するに僕が何を考えているのか、つまりどう生活しているのかというだけの話です。処世訓とも言えるかもしれません。例えば常に前向きでいるとか、「整理整頓は人生の半分(※訳者注:ドイツのことわざ。直訳。良い人生には整理整頓が不可欠という意)」だとか。そういう内容の章も入っています。
えっ
僕はそう考えています。掃除はこまめにするし、いつもきちんと片付けています。僕にとって整理整頓は大事なこと。頭のためにはいいんですよ。
自らお書きになったのですか
ほとんどの部分はそうです、はい。もちろんそこから編集はしてもらいました。
本を書くのは引退後を考えてのことなのですか
いえ、もう書きません。これきりです。その本の中でかなり自分をオープンにしてしまっているからです。日本人全員が僕の考え方を知っているということになります。あれはすでにかなりプライベートに迫っている。もう一度やってみようとは思いません。
よく売れましたね
ええ、140万部売れました。
そしてそのお金は福島原発事故の被害者のために寄付しました
はい。本は1冊10ユーロ。それだけでかなりの金額が集まったことになります。そのお金で、例えば津波で流された福島近辺に幼稚園を造ってもらいました。これまでに3、4回訪問して、子どもたちとサッカーをしたりして遊びました。すごくうれしいことです。
ユニセフ大使にもなるそうですね
ええ、この冬に。そうしたらインドネシアとスマトラ島に行きます。過去に津波に襲われた地です。そこに行って大使としての役目を果たす予定です。
サッカー選手が大使になるのはよくあることではありませんね
僕は日本代表のキャプテンです、というかキャプテンでした。キャプテンというのは高い名声を得るし、社会にまで影響力がある。憧れとされます。ぜひ僕はそうありたい。僕には特権があり、プロサッカー選手で稼ぎはいいじゃないですか。すると何かの形で還元したくなる。自分にとっては当たり前のことです。
ちょっと引っかかることが――キャプテン「でした」と言いましたね。実際に免職されているのですか
わかりません。今回代表に招集されなかった。それ以上のことはわからないです。
そうなんですが、でもこの国でフィリップ・ラームだったり、バスティアン・シュバインシュタイガーだったり、マヌエル・ノイアーが何の理由もなく代表に招集されなかったとしたら――凄まじい叫び声が上がるでしょう。日本ではそうならないのですか
わかりません、僕は日本の新聞をインターネットでも読んでいませんし。だからわからないんです。こっちで僕に付いている日本の記者の方たちに聞いてみますか(笑)。
招集されなかったことには腹が立ちましたか。それともがっかりしたのですか
悲しかったです、もちろん。でも日本代表のことはこれで終わったものとは思いません。いいプレーをしていれば、きっとまた呼ばれるでしょう。
でも以前は代表戦に招集されていましたよね、膝の問題で早々にフランクフルトへ戻ることになりましたが。代表監督がそれで気を悪くしたのだとは思いませんか
わかりません。そのことについては何も言えません。
話は変わりますが、私どもには気になることがありまして。ピッチ上のあなたは常に控えめで愛想のいい典型的日本人選手、ではありませんよね。ピッチでは臆せず、よく審判と議論してクレームをつけています。これは日本人では全く見られないことで
自分のプレーに必要なんです。僕はどちらかといえばカッとなりやすい方で。僕のモチベーションです。
乾貴士の力にはなれましたか
彼は夏に新しいスタートを切りましたが、なかなかうまくいきました。今では理解できることも増えていますし、今またドイツ語の授業を受けていますからね。僕はできる範囲で手を貸します。もっとドイツ語を勉強しろと彼にはずっと言ってきたんですよ。僕の方も彼にすごく助けられています。フランクフルト案内、例えばどこにレストランがあるかとかを教えてもらって。
乾に試合中よくパスを出しているような気がするのですが
その通り。偶然じゃありません。
ここまでのチームの結果には満足していますか
はい、いい感じだと思います。勝ち点はもっと取れたはずですけど。
アイントラハトに来てすぐ、高い目標を口にしていましたね。チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグの出場権が得られる順位のことを
ええ、でもこれは僕の個人的な意見だということを強調したいです。監督やクラブがどう見ているのかはわかりません。できる限り多くを達成するには、高い目標を定めなければいけないというのが僕の考えです。
ご自身のパフォーマンスには満足していますか
まだまだもっといいプレーができるはずです。ボールを早く、大きなリスクを冒してでも前へ出すことにトライしていて。これは監督が僕に期待していることでもあるんですが。でも僕はもっとゴールを脅かせるはず。これもそのうちきっとできると思います。
Interview: Ingo Durstewitz & Thomas Kilchenstein
※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい
https://uschi22.blogspot.com/2014/10/frankfurter-rundschau-Hasebe.html【番外編】Frankfurter Rundschauの長谷部誠インタビュー
2014/09/11
Recklinghäuser Zeitungのヴェトクロインタビュー
ゴールキーパー クリスティアン・ヴェトクロインタビュー
「信じられないような瞬間」
http://www.recklinghaeuser-zeitung.de/sport/schalke/Interview-mit-Torhueter-Christian-Wetklo-Ein-unfassbarer-Moment;art1278,1385187
ゲルゼンキルヒェン ゴールキーパーのクリスティアン・ヴェトクロがついに意中のクラブ、FCシャルケ04のプロ選手になって4週間弱。インタビューで34歳の彼は気持ちよく率直に感情をさらけ出した。
写真キャプション:このクリスティアン・ヴェトクロはまだ前職場FSVマインツ05のユニフォームを着ている。
ゴールキーパー仲間のラルフ・フェアマンによると、あなたはシャルケの布団カバーで寝ていて、シャルケでプレーするためなら馬に乗ってでも来たのではないかということですが。彼の主張は正しいのでしょうか
反論できません(笑)。でもゲルゼンキルヒェン=ハッセル育ちで、家族全員がシャルケファンだったら、それも不思議じゃないでしょう。
そして14年間マインツ05でプレーを
素晴らしい時間でした、無条件に。でもシャルケでプロ契約することにいつも憧れていました。シャルケのホルガー・ゲールケゴールキーパーコーチから初めて電話があったのは、僕にとってはまさに信じられないような瞬間で。プロ選手としてのキャリアはダルムシュタット98との契約解消で終わったのだと自分を納得させていましたから。
どうしてダルムシュタットではうまくいかなかったのですか
一身上の都合です。ダルムシュタットでの仕事は違うものを想像していました。でも噂されていたようないざこざがあったわけではなく、双方の合意で袂を分かつことになりました。
その後オファーは全く来なかったのですか
いえ、海外からはありました。でも家庭の理由でそれは受けたくなくて。だから他の進路に、つまり長期的に指導者として働こうと。B級ライセンスは取得しました。
ところが電話がかかってきた……
それまでにも何度か夢に出てきたんです。びっくりして飛び起きて、なんだシャルケでプレーしているのは夢だったのか、と思ったり。マインツからゲルゼンキルヒェンへ300km車を走らせて、ゲルゼンキルヒェン=ブア出口に来た時に何度思ったことか。なんでお前はこんなに遠く離れたところでサッカーをしているんだ、シャルケは玄関を開けたらすぐなのに、と……。
最初の電話があって、それからどうなったのですか
イェンス・ケラー監督との面談がありました、僕のことを知りたいということで。その後の週末というのはまああまり楽なものじゃありませんでしたよ。がくがく震えてほとんど眠れなくて。そしてとうとうホルスト・ヘルトスポーツディレクターから電話がかかってきて、「ようこそシャルケへ」と。これで僕の夢はかなったんです。シャルケが僕を欲しがっているということを知っていたのは、その時までは妻のナターシャだけでした。ヘルト氏から電話があって初めて家族と友人たちに打ち明けました。
周りの人たちは感激したでしょうね
それはもう。考えてもみて下さい、長男のロマーノに、僕がプレーしているのはマインツであってシャルケではないと、長年説明するのがどれだけつらいことだったか。でも今はみんなが幸せですし、息子たちはいつ試合の後にアレーナの芝に立ってもいいのか聞いてきましたよ。マインツでは何度かやっていましたから。先のことなのでここではそこまで簡単にはいかないでしょうけど。
シャルケの施設で昔と変わっていないところはありましたか
僕がシャルケのAユースからロートヴァイス・エッセンに行った当時、ここはまだ全然違う姿をしていました。僕らが練習をしていたのは、パルクシュタディオンやシンダー舗装のグラウンドやグリュックアウフ=カンプフバーン(※訳者注:パルクシュタディオン以前のシャルケのホームスタジアム)で。メディコス(※訳者注:シャルケと提携しているリハビリ施設medicos.AufSchalkeのこと)では2008年に背中(腰)を痛めた時にリハビリをしました。だからもともと知っている部分もあるんですが、新しく見るものの方が多いです。ここにはすごいものがいろいろできていますから。
あなたの契約にはシャルケの公式戦で出場機会を与えられるという条項があるのですか
ないですよ。(笑いながら)ここにいて毎日を楽しんでいることがとても幸せです。そりゃもしいつか出場機会が来たら僕にとって最高のクライマックスになるでしょうが、それは考えていません。ラルフ・フェアマンが僕らのナンバー1。素晴らしいゴールキーパーです。彼が健康でいること、キャリアで次のステップに進むことを願っています。
しかしファビアン・ギーファーが戻ってきたら、あなたは再び二軍へと移動することになります。もしくはナンバー2の座を巡る一騎打ちが
いいえ。役割ははっきり取り決められています。それは変わりません。レギオナルリーガチーム(※訳者注:シャルケU23のこと)の力になるまでです。
バイエルン戦でベンチにいるあなたの熱狂ぶりは目を引きました
第4審判に、今回はビビアナ・シュタインハウスさんでしたが、何回か注意されましたね。僕にとっては全く新しいシチュエーションだったんです、フェルティンス=アレーナのシャルケのベンチで90分を過ごすというのは。どれだけ興奮したのか、みなさんには想像できないでしょう。それは僕が選手というだけではなくて、FCシャルケ04のファンでもあるからだと思います。
そしてひょっとするとこの後はケーニヒスブラオ(※訳者注:シャルケのこと)の監督にも
育成部門でそれは一つの選択肢になるかもしれません。ノーベルト・エルゲルトAユース監督のところで勉強するという話をすでに本人としています。僕のシャルケAユース時代も彼が監督でしたから。どう練習指導が発達してきたのか見るのはおもしろいはず。来年にはA級ライセンスを取るつもりです。でも今まず自分にとって大事なのは、シャルケにしっかり集中することですね。
※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい
「信じられないような瞬間」
http://www.recklinghaeuser-zeitung.de/sport/schalke/Interview-mit-Torhueter-Christian-Wetklo-Ein-unfassbarer-Moment;art1278,1385187
ゲルゼンキルヒェン ゴールキーパーのクリスティアン・ヴェトクロがついに意中のクラブ、FCシャルケ04のプロ選手になって4週間弱。インタビューで34歳の彼は気持ちよく率直に感情をさらけ出した。
Frank Leszinski
写真キャプション:このクリスティアン・ヴェトクロはまだ前職場FSVマインツ05のユニフォームを着ている。
ゴールキーパー仲間のラルフ・フェアマンによると、あなたはシャルケの布団カバーで寝ていて、シャルケでプレーするためなら馬に乗ってでも来たのではないかということですが。彼の主張は正しいのでしょうか
反論できません(笑)。でもゲルゼンキルヒェン=ハッセル育ちで、家族全員がシャルケファンだったら、それも不思議じゃないでしょう。
そして14年間マインツ05でプレーを
素晴らしい時間でした、無条件に。でもシャルケでプロ契約することにいつも憧れていました。シャルケのホルガー・ゲールケゴールキーパーコーチから初めて電話があったのは、僕にとってはまさに信じられないような瞬間で。プロ選手としてのキャリアはダルムシュタット98との契約解消で終わったのだと自分を納得させていましたから。
どうしてダルムシュタットではうまくいかなかったのですか
一身上の都合です。ダルムシュタットでの仕事は違うものを想像していました。でも噂されていたようないざこざがあったわけではなく、双方の合意で袂を分かつことになりました。
その後オファーは全く来なかったのですか
いえ、海外からはありました。でも家庭の理由でそれは受けたくなくて。だから他の進路に、つまり長期的に指導者として働こうと。B級ライセンスは取得しました。
ところが電話がかかってきた……
それまでにも何度か夢に出てきたんです。びっくりして飛び起きて、なんだシャルケでプレーしているのは夢だったのか、と思ったり。マインツからゲルゼンキルヒェンへ300km車を走らせて、ゲルゼンキルヒェン=ブア出口に来た時に何度思ったことか。なんでお前はこんなに遠く離れたところでサッカーをしているんだ、シャルケは玄関を開けたらすぐなのに、と……。
最初の電話があって、それからどうなったのですか
イェンス・ケラー監督との面談がありました、僕のことを知りたいということで。その後の週末というのはまああまり楽なものじゃありませんでしたよ。がくがく震えてほとんど眠れなくて。そしてとうとうホルスト・ヘルトスポーツディレクターから電話がかかってきて、「ようこそシャルケへ」と。これで僕の夢はかなったんです。シャルケが僕を欲しがっているということを知っていたのは、その時までは妻のナターシャだけでした。ヘルト氏から電話があって初めて家族と友人たちに打ち明けました。
周りの人たちは感激したでしょうね
それはもう。考えてもみて下さい、長男のロマーノに、僕がプレーしているのはマインツであってシャルケではないと、長年説明するのがどれだけつらいことだったか。でも今はみんなが幸せですし、息子たちはいつ試合の後にアレーナの芝に立ってもいいのか聞いてきましたよ。マインツでは何度かやっていましたから。先のことなのでここではそこまで簡単にはいかないでしょうけど。
シャルケの施設で昔と変わっていないところはありましたか
僕がシャルケのAユースからロートヴァイス・エッセンに行った当時、ここはまだ全然違う姿をしていました。僕らが練習をしていたのは、パルクシュタディオンやシンダー舗装のグラウンドやグリュックアウフ=カンプフバーン(※訳者注:パルクシュタディオン以前のシャルケのホームスタジアム)で。メディコス(※訳者注:シャルケと提携しているリハビリ施設medicos.AufSchalkeのこと)では2008年に背中(腰)を痛めた時にリハビリをしました。だからもともと知っている部分もあるんですが、新しく見るものの方が多いです。ここにはすごいものがいろいろできていますから。
あなたの契約にはシャルケの公式戦で出場機会を与えられるという条項があるのですか
ないですよ。(笑いながら)ここにいて毎日を楽しんでいることがとても幸せです。そりゃもしいつか出場機会が来たら僕にとって最高のクライマックスになるでしょうが、それは考えていません。ラルフ・フェアマンが僕らのナンバー1。素晴らしいゴールキーパーです。彼が健康でいること、キャリアで次のステップに進むことを願っています。
しかしファビアン・ギーファーが戻ってきたら、あなたは再び二軍へと移動することになります。もしくはナンバー2の座を巡る一騎打ちが
いいえ。役割ははっきり取り決められています。それは変わりません。レギオナルリーガチーム(※訳者注:シャルケU23のこと)の力になるまでです。
バイエルン戦でベンチにいるあなたの熱狂ぶりは目を引きました
第4審判に、今回はビビアナ・シュタインハウスさんでしたが、何回か注意されましたね。僕にとっては全く新しいシチュエーションだったんです、フェルティンス=アレーナのシャルケのベンチで90分を過ごすというのは。どれだけ興奮したのか、みなさんには想像できないでしょう。それは僕が選手というだけではなくて、FCシャルケ04のファンでもあるからだと思います。
そしてひょっとするとこの後はケーニヒスブラオ(※訳者注:シャルケのこと)の監督にも
育成部門でそれは一つの選択肢になるかもしれません。ノーベルト・エルゲルトAユース監督のところで勉強するという話をすでに本人としています。僕のシャルケAユース時代も彼が監督でしたから。どう練習指導が発達してきたのか見るのはおもしろいはず。来年にはA級ライセンスを取るつもりです。でも今まず自分にとって大事なのは、シャルケにしっかり集中することですね。
※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい
https://uschi22.blogspot.com/2014/09/recklinghaeuser-zeitung-Wetklo.htmlRecklinghäuser Zeitungのヴェトクロインタビュー
2014/08/23
Die Weltのヘーヴェデスインタビュー
ヘーヴェデス - 「ハゲているのはいい気分ではない」
http://www.welt.de/sport/fussball/bundesliga/fc-schalke-04/article131496939/Hoewedes-Ich-fuehle-mich-mit-Glatze-nicht-wohl.html
ベネディクト・ヘーヴェデスがW杯で最も感動的な瞬間を味わったのは決勝の舞台だった。インタビューではFCシャルケ04での目標、そして植毛後に得られた自信について語った。
Lars Gartenschläger
写真キャプション:ベネディクト・ヘーヴェデスはユース時代からFCシャルケでプレー。ゲルゼンキルヒェンのチームでこれまでリーグ戦166試合に出場、8ゴールを決めている
写真:pa/Sport Moments/Rehbein
彼の躍進はW杯最大のサプライズの一つだった。サッカードイツ代表チームがブラジルでタイトルを獲りに行くにあたって、あの活躍を計算に入れていた人はおそらくいなかっただろう。しかしベネディクト・ヘーヴェデスは、大会の最後にはマヌエル・ノイアーと同じく全試合にフル出場した唯一の選手としてピッチに立っていた。それも、センターバックの選手にとっては慣れないポジション――4バックの左で。FCシャルケ04所属の26歳は、常に満点で仕事を果たしたわけではなかったものの、最後には全批評家の言っていたことはでたらめだったと証明してみせた。ワールドチャンピオンは自信を持って新たなシーズンを迎える。
Die Welt:ヘーヴェデスさん、シャルケはDFBポカール1回戦でディナモ・ドレスデンに敗れました。良いスタートだとは言えないのでは
ベネディクト・ヘーヴェデス:ええ、3部リーグのチームに負けて大会を去るというのは、うまくいかなかったということ。でもリーグ戦では軌道修正していきます。僕らの目標はチャンピオンズリーグの出場権。順位争いは厳しいので、ハノーファーの開幕戦では変わったところを見せないといけません。
Die Welt:ドレスデン戦を欠場しましたね。キャプテンでありワールドチャンピオンでもあるあなたには期待がかかるのでは
ヘーヴェデス:W杯が終わって、高いモチベーションで新しいシーズンに向かっているし、チームの安定のために何でもするつもりです。でも総合的に問われるのはチーム全体であって、ピッチに立つ11人がうまく機能しないと。
Die Welt:ワールドチャンピオンの気分は
ヘーヴェデス:信じられないようなすばらしい気分です。おめでとう、すばらしい夏をありがとうと、この数週間たくさんの人に言われました。ブラジルでは本当に特別なことを成し遂げたんだなと。
Die Welt:W杯ではどの場面が特に記憶に残っていますか
ヘーヴェデス:決勝戦ですね。マリオ(・ゲッツェ:編集部より)のゴールは救いのようなものでした。彼が決めてすぐ涙があふれてきたぐらい、すごくうれしくて。あれでW杯のタイトルにぐっと近付いたわけです。一気にプレッシャーから解放されて、アドレナリンが大量に噴き出して――想像を絶する瞬間でした。一生忘れないと思います。
Die Welt:優勝後、多くの選手がキャンプ地カンポ・バイアで活力が生まれたと話していました。ご自身ではどうお感じになりましたか
ヘーヴェデス:あの宿舎は格別でした。様々なコテージに住んで、かつ各自スペースを持てたのが良かったと思います。各コテージにリビングルームがあって、それぞれ独自のものが備え付けられていました。ビリヤード台だったりプレイステーションだったり。そのおかげでお互い行き来がありました。でも、一番大きな役割を果たしていたのは食堂だったのではないかと。ほとんどの人とはそこで顔を合わせていました。一人で落ち着ける場があるというのも大きかったです。
Die Welt:ブンデスリーガの日常ではライバルの、ミュンヘン、ドルトムント、シャルケのメンバーが仲良くやっていたほど、雰囲気は良かったように見受けられましたが
ヘーヴェデス:そうですね。各自が自分の気分と好みを優先しないようにしていて。自分勝手な人はいなかった。みんな代表チームと共通の目標のことだけを考えていました。これが成功の決定的な鍵になったと思います。
Die Welt:ケヴィン・グロスクロイツとバスティアン・シュヴァインシュタイガーに友情が芽生えたのはその象徴でしょうか
ヘーヴェデス:そう言っていいんじゃないですか。うまく続いていくかはこれからの話ですけどね。でも、普段はライバルの二選手が急にあれだけ仲良くなるというのは、凄まじい説得力があると思います。彼らはそれを実現した。いいことだと思います。
Die Welt:タイトル獲得で周りの反応も変わりましたか
ヘーヴェデス:もちろん。すごく敬意を払ってもらっているように感じます。ドイツのタイトル獲得に自分も大きな貢献をしたんだなと。全試合に出て、それも慣れないポジションでプレーして。そこが認められたと感じています。自分への期待値もまた高くなっている。僕自身満足してしまってもいないし、今もハングリーです。
Die Welt:ご友人の反応はいかがですか。うやうやしくなったりとかは
ヘーヴェデス:それはないです。喜んでくれています。関係は何も変わっていません。共に過ごしてきたことが僕らを結び付けているので。W杯のタイトルで変わるものは何もないです。
Die Welt:あなたはマヌエル・ノイアーと同様に全試合フル出場でピッチに立ちました。一方で、最も批判にさらされた選手の一人でもありました
ヘーヴェデス:僕の境遇はチーム全体のそれと同じようなものでした。常に上がっては下がって。僕は代表監督の意見に意識を集中させるようにしていました。監督の意見が自分にとっては大きかったです。監督は僕のパフォーマンスに常に満足してくれていましたし。もちろん振り返れば100%の満足がいつもできるわけじゃない。でも、まったく慣れないポジションでのプレーだという点を考慮することもなく批判されるというのは、残念だなと思っていました。
Die Welt:フェリックス・マガトやアンドレアス・ブレーメのような批評家たちから謝罪の言葉などはありましたか
ヘーヴェデス:いえ。その必要もないです。言い分は人それぞれ。僕も根に持っていませんし。タイトルホルダーの自分にはその理由がちゃんとある。やってきたことはあまり間違っていなかったと思っています。間違いどころか正解がとても多かったんだと。
Die Welt:W杯に向けた準備期間のスタートは、あなたにとっては決して最高とは言えないものでした。その前までは長期負傷。そして南チロルの合宿ではコマーシャルイベントで事故が発生。休暇中の旅行者をはね、けがをさせた車に同乗していました
ヘーヴェデス:調子が出てくるまで時間はかかりましたが、常に一生懸命やって、代表監督に頼れると思ってもらえるようにしました。このW杯でプレーすることは、人生の大きな夢だったんです。そのために全力を尽くしました。それがヨアヒム・レーヴの目に留まった。僕を左でプレーさせるのは彼のプランでした。監督から初めてその話があったのはカメルーンとのテストマッチの前で。最終的にはそれがうまくはまりました。監督がこれほど大きな信頼を寄せてくれたことに感謝しています。
Die Welt:事故については
ヘーヴェデス:あれはとても不幸な結果になってしまった出来事でした。関係者、重傷を負った方を本当に気の毒に思います。同乗していた僕はあのとき何も阻止できなかった。事故後の応急処置はしましたが。事故のことはもちろん心に引っかかっていましたが、メディアで言われていたような、夜眠れないということはなかったです。心理士のところに何時間もいたということもありませんでした。そういうサポートは用意してもらいましたが、僕は自分で正面から向き合って消化しました。
Die Welt:このようなW杯優勝の後には欲が生まれるもの。ヘヴェデスさんの未来図はどうなっているのですか
ヘーヴェデス:僕に興味を持ってくれているクラブがいくつかあるようだというのは、言われている通りです。W杯で優勝すれば当たり前のことなのかもしれません。僕にはシャルケの居心地がとても良くて――それも13年前から。クラブにはすごく恩義を感じています。それでも、いつか海外に移籍する考えもあることは前から言ってきました。新しい経験を積んで、新しい文化や言葉に触れてみたいんです。いつが潮時なのかは言えません。でも人生の中で叶えたいと思っています。
Die Welt:この夏はいろいろな意味で注目を集めました。特に植毛に関しても
ヘーヴェデス:わりと短期間に髪がすごくたくさん抜けてしまったのが悩みでした。まだ26歳だし、自分はハゲがすごく似合うタイプではないと思うんです。人を見ていいなと思うことはあるけど、自分の場合は気分が良くなくて。気になっていたので植毛することにしました。手段が存在するならそういうことをするのに僕は大賛成だし、恥ずかしいことだとも思いません。それでまたいい気分で道を歩けるようになるなら、なおさらです。
※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい
http://www.welt.de/sport/fussball/bundesliga/fc-schalke-04/article131496939/Hoewedes-Ich-fuehle-mich-mit-Glatze-nicht-wohl.html
ベネディクト・ヘーヴェデスがW杯で最も感動的な瞬間を味わったのは決勝の舞台だった。インタビューではFCシャルケ04での目標、そして植毛後に得られた自信について語った。
Lars Gartenschläger
写真キャプション:ベネディクト・ヘーヴェデスはユース時代からFCシャルケでプレー。ゲルゼンキルヒェンのチームでこれまでリーグ戦166試合に出場、8ゴールを決めている
写真:pa/Sport Moments/Rehbein
彼の躍進はW杯最大のサプライズの一つだった。サッカードイツ代表チームがブラジルでタイトルを獲りに行くにあたって、あの活躍を計算に入れていた人はおそらくいなかっただろう。しかしベネディクト・ヘーヴェデスは、大会の最後にはマヌエル・ノイアーと同じく全試合にフル出場した唯一の選手としてピッチに立っていた。それも、センターバックの選手にとっては慣れないポジション――4バックの左で。FCシャルケ04所属の26歳は、常に満点で仕事を果たしたわけではなかったものの、最後には全批評家の言っていたことはでたらめだったと証明してみせた。ワールドチャンピオンは自信を持って新たなシーズンを迎える。
Die Welt:ヘーヴェデスさん、シャルケはDFBポカール1回戦でディナモ・ドレスデンに敗れました。良いスタートだとは言えないのでは
ベネディクト・ヘーヴェデス:ええ、3部リーグのチームに負けて大会を去るというのは、うまくいかなかったということ。でもリーグ戦では軌道修正していきます。僕らの目標はチャンピオンズリーグの出場権。順位争いは厳しいので、ハノーファーの開幕戦では変わったところを見せないといけません。
Die Welt:ドレスデン戦を欠場しましたね。キャプテンでありワールドチャンピオンでもあるあなたには期待がかかるのでは
ヘーヴェデス:W杯が終わって、高いモチベーションで新しいシーズンに向かっているし、チームの安定のために何でもするつもりです。でも総合的に問われるのはチーム全体であって、ピッチに立つ11人がうまく機能しないと。
Die Welt:ワールドチャンピオンの気分は
ヘーヴェデス:信じられないようなすばらしい気分です。おめでとう、すばらしい夏をありがとうと、この数週間たくさんの人に言われました。ブラジルでは本当に特別なことを成し遂げたんだなと。
Die Welt:W杯ではどの場面が特に記憶に残っていますか
ヘーヴェデス:決勝戦ですね。マリオ(・ゲッツェ:編集部より)のゴールは救いのようなものでした。彼が決めてすぐ涙があふれてきたぐらい、すごくうれしくて。あれでW杯のタイトルにぐっと近付いたわけです。一気にプレッシャーから解放されて、アドレナリンが大量に噴き出して――想像を絶する瞬間でした。一生忘れないと思います。
Die Welt:優勝後、多くの選手がキャンプ地カンポ・バイアで活力が生まれたと話していました。ご自身ではどうお感じになりましたか
ヘーヴェデス:あの宿舎は格別でした。様々なコテージに住んで、かつ各自スペースを持てたのが良かったと思います。各コテージにリビングルームがあって、それぞれ独自のものが備え付けられていました。ビリヤード台だったりプレイステーションだったり。そのおかげでお互い行き来がありました。でも、一番大きな役割を果たしていたのは食堂だったのではないかと。ほとんどの人とはそこで顔を合わせていました。一人で落ち着ける場があるというのも大きかったです。
Die Welt:ブンデスリーガの日常ではライバルの、ミュンヘン、ドルトムント、シャルケのメンバーが仲良くやっていたほど、雰囲気は良かったように見受けられましたが
ヘーヴェデス:そうですね。各自が自分の気分と好みを優先しないようにしていて。自分勝手な人はいなかった。みんな代表チームと共通の目標のことだけを考えていました。これが成功の決定的な鍵になったと思います。
Die Welt:ケヴィン・グロスクロイツとバスティアン・シュヴァインシュタイガーに友情が芽生えたのはその象徴でしょうか
ヘーヴェデス:そう言っていいんじゃないですか。うまく続いていくかはこれからの話ですけどね。でも、普段はライバルの二選手が急にあれだけ仲良くなるというのは、凄まじい説得力があると思います。彼らはそれを実現した。いいことだと思います。
Die Welt:タイトル獲得で周りの反応も変わりましたか
ヘーヴェデス:もちろん。すごく敬意を払ってもらっているように感じます。ドイツのタイトル獲得に自分も大きな貢献をしたんだなと。全試合に出て、それも慣れないポジションでプレーして。そこが認められたと感じています。自分への期待値もまた高くなっている。僕自身満足してしまってもいないし、今もハングリーです。
Die Welt:ご友人の反応はいかがですか。うやうやしくなったりとかは
ヘーヴェデス:それはないです。喜んでくれています。関係は何も変わっていません。共に過ごしてきたことが僕らを結び付けているので。W杯のタイトルで変わるものは何もないです。
Die Welt:あなたはマヌエル・ノイアーと同様に全試合フル出場でピッチに立ちました。一方で、最も批判にさらされた選手の一人でもありました
ヘーヴェデス:僕の境遇はチーム全体のそれと同じようなものでした。常に上がっては下がって。僕は代表監督の意見に意識を集中させるようにしていました。監督の意見が自分にとっては大きかったです。監督は僕のパフォーマンスに常に満足してくれていましたし。もちろん振り返れば100%の満足がいつもできるわけじゃない。でも、まったく慣れないポジションでのプレーだという点を考慮することもなく批判されるというのは、残念だなと思っていました。
Die Welt:フェリックス・マガトやアンドレアス・ブレーメのような批評家たちから謝罪の言葉などはありましたか
ヘーヴェデス:いえ。その必要もないです。言い分は人それぞれ。僕も根に持っていませんし。タイトルホルダーの自分にはその理由がちゃんとある。やってきたことはあまり間違っていなかったと思っています。間違いどころか正解がとても多かったんだと。
Die Welt:W杯に向けた準備期間のスタートは、あなたにとっては決して最高とは言えないものでした。その前までは長期負傷。そして南チロルの合宿ではコマーシャルイベントで事故が発生。休暇中の旅行者をはね、けがをさせた車に同乗していました
ヘーヴェデス:調子が出てくるまで時間はかかりましたが、常に一生懸命やって、代表監督に頼れると思ってもらえるようにしました。このW杯でプレーすることは、人生の大きな夢だったんです。そのために全力を尽くしました。それがヨアヒム・レーヴの目に留まった。僕を左でプレーさせるのは彼のプランでした。監督から初めてその話があったのはカメルーンとのテストマッチの前で。最終的にはそれがうまくはまりました。監督がこれほど大きな信頼を寄せてくれたことに感謝しています。
Die Welt:事故については
ヘーヴェデス:あれはとても不幸な結果になってしまった出来事でした。関係者、重傷を負った方を本当に気の毒に思います。同乗していた僕はあのとき何も阻止できなかった。事故後の応急処置はしましたが。事故のことはもちろん心に引っかかっていましたが、メディアで言われていたような、夜眠れないということはなかったです。心理士のところに何時間もいたということもありませんでした。そういうサポートは用意してもらいましたが、僕は自分で正面から向き合って消化しました。
Die Welt:このようなW杯優勝の後には欲が生まれるもの。ヘヴェデスさんの未来図はどうなっているのですか
ヘーヴェデス:僕に興味を持ってくれているクラブがいくつかあるようだというのは、言われている通りです。W杯で優勝すれば当たり前のことなのかもしれません。僕にはシャルケの居心地がとても良くて――それも13年前から。クラブにはすごく恩義を感じています。それでも、いつか海外に移籍する考えもあることは前から言ってきました。新しい経験を積んで、新しい文化や言葉に触れてみたいんです。いつが潮時なのかは言えません。でも人生の中で叶えたいと思っています。
Die Welt:この夏はいろいろな意味で注目を集めました。特に植毛に関しても
ヘーヴェデス:わりと短期間に髪がすごくたくさん抜けてしまったのが悩みでした。まだ26歳だし、自分はハゲがすごく似合うタイプではないと思うんです。人を見ていいなと思うことはあるけど、自分の場合は気分が良くなくて。気になっていたので植毛することにしました。手段が存在するならそういうことをするのに僕は大賛成だし、恥ずかしいことだとも思いません。それでまたいい気分で道を歩けるようになるなら、なおさらです。
※このブログでのみ公開するという条件で翻訳・掲載の許可を頂いているので転載はしないで下さい
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